「雨の日の正春寺」
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新宿駅南口を出て、賑やかな通りを初台方面に向かって10分も歩くと正春寺がある。
〇紀子さんと小田急新宿駅改札口で待ち合わせた。「わたしの好きな美味しいお蕎麦屋さんにご案内します」というので、麺食い（？）のじじいが断るはずもなく「小松庵」に入った。迷うことなく「生粉打ち十割海老天せいろ」をいただいた。音を立てて十割蕎麦をいただきながら「これなら妻を連れて来たい」と呟いてしまった。新年会幹事を引き受けてくれた〇紀子から、いくつかの相談事があったが、それよりも積もる話でのんびりできたことが嬉しかった。〇紀子が「このお店からですと抜け道があります」と言うので、あいにくの雨の中ではあったが、〇紀子の「じじいのカートを引いて傘をさしての道のり」は寒さも忘れて話が弾んだ。
実は数年前から気になっていたことがあった。というのは親しくさせていただいているご縁から、じじいの仏像を2体置かせていただいていた。しかし、その聖観音立像が経年劣化で変色しているのと、別の仏頭側面にもひび割れがあって修理をせねばならないと思っていたからである。そこで昨日は修理中に置かせていただこうと3体の像をカートに入れて持参していた。ところが、〇紀子のお母さんが「この年を経て茶色に変化したのがいいのです。補修したところの色の微妙な変化も気になりませんし、わたしはそれが好きなのです。これも観音様の変化と思えば心惹かれるのです」と語り、仏頭についても「この仏頭も、正面から見たらひび割れなんか気になりません。むしろ年々古くなって檀家の人たちも、ここに置かれているのが当たり前になっています」と思いもよらない言葉をいただいたのであった。
じじいも「いま彫れば、もっともっと上手く奇麗に仕上げられます。でも、この粗削りでも力のある仏像は彫れません。もし修理に失敗したら叩き割るかも知れません」と口を滑らせると、「わたし、この聖観音のお顔が好きなのです。もし戻って来ないなら、このまま修理しないでここに置いてください」ときっぱり仰るのであった。じじいも、これまでのお母さんとの言葉のやり取りで、今まで忘れていた大事なものを思い出したような気がしていた。
この正春寺は、お母さんの絵心やセンスが客殿・仏間・応接室の隅々に活かされている。言い方は妙だが「高価ではなくとも客殿から廊下の隅々までに、寺を訪れる人たちの心を慰める場」を形成しているのである。このセンスはいまや娘の〇紀子さんにも引き継がれ、客をもてなすという本来の寺のありようと空間づくりが訪れる人を和ませるのである。またまた図々しいじじいは、嫌がるお母さんと〇紀子に「もうじじいも先が無いので」と半ば脅し言葉を交えてツーショット写真を撮らせていただいた。
だから、この聖観音と仏頭の交代要員として持参した「羅漢と合掌地蔵・掌地蔵を、応接室の仏頭の隣と客殿に置かせてください」と図々しいお願いをしたのだった。なんのことはない、仏像修理と言いながらなにもせずに美味しいお菓子や、酒のつまみにと新潟加島屋の詰め合わせをどっさりいただいて帰ることになった。雨の上がった新宿駅まで歩きながら、図々しい自分を蔑みながら、前の日に観た歌舞伎「河内山宗俊」の七五調の名台詞と重ね合わせて吹き出していた。
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「正春寺縁起」
真宗東。柴山安養院と号す。開基は徳川家光の乳母、梅園局。開山はその子僧正入である。正入ははじめ湯島三丁目伝西寺に住し、天台宗であつた。俗称の祖父を土井昌勝という。利勝の弟。妻は将軍秀忠の乳母となり初台局と称し、代々木村に於て知行二百石を賜う。養子吉次の時、姓を柴山と改む。妻は初台局の女。将軍家光の乳母となり、梅園局と称した。即ち正入の実母である。然るに初台局は、老後知行所に菩提寺建立の志があつた。新寺の建立は許されないので、その孫正入の住する湯島専西寺の引寺という事にして、元和六年に一寺を建立したが、湯島の寺もそのまゝ存在している。即ち専西寺が、湯島と代々木の二ヶ所に出来て、正入がこれを兼任した。同八年初台局が歿し、法名を安養院という。寛永四年改宗して真宗となる。同十年湯島山安養院専西寺と称し、正保二年更に柴山専西寺と改む。慶安四年梅園局が歿し、明暦三年には正入が寂した。元和二年湯島専西寺の火災にかゝるに及び、両寺はじめて合して、代々木専西寺ばかりとなり、元禄五年正春寺と改む。故に正入を開山とし、梅園局を開基としている。境内二千八百二十一坪。本尊阿彌陀如来。
