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「父の遺骨は石ころだった」



  「父の遺骨は石ころだった」 

        令和4年8月13日(土) 
                                
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  • 戦争が終わってしばらくすると、旧陸軍の軍服を着た人がわが家を訪ねて来るようになった。応対に出た母に「自分は戦死なさったご主人の部下でした」と父の最期の様子を語り始めた。母は涙しながら話に聞き入り、帰るときに交通費だとなけなしの金と食事まで出していた。

    その後も同じような身なりの人が訪れたが、父の最期の話が、語る人によって微妙に異なるようになった。ここまで来て、これが「親切ごかしに遺族の家を訪ねて、食事と金銭を騙し取る詐欺師だ」と気づいた。どんな時代でも悪い奴はいるものだが、そうでもしないと生きてはゆけないのが戦後であった。

    その父の遺骨は2年間国にほっとかされたままにされていた。なんと妻である母の元に届いたのは、やがて終戦記念日となる8月15日の午後のことであった。当時5歳のじじいにも、届けられた白木の箱に父の遺骨が納められているのは理解できた。家族はあまりに軽い遺骨箱を不審に思って、箱を揺らすとコロコロとなにかが転がる音がした。

    家族の者は、父が「これが最期だ。もう家には帰れない」と覚悟して仏壇奥に隠してあった髪の毛と爪を遺骨箱に納めようと蓋を開けた。すると中から小さな那智石が一つ転がり出た。後から聞くと「中部太平洋方面というどこで死んだか判らないのに遺骨なんてあるはずもない」のである。

    これも後から知ったことだが「遺骨が手に入らない戦死者には、甲府の護国神社の石を遺骨代わり入れる」と聞こえてきた。だからわが家の墓地には父が仏壇に残した髪の毛と爪が納められている。それゆえじじいは、38歳で亡くなった父がまだ南の島で生きていて、明日にも帰還すると信じているのである。

    ※写真の石ころは、靖国神社の境内でよく似た石を見つけたものをお預かりしている。

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イスラームでは

こんにちは

私はイスラム教徒です。 イスラム教について学ぶよう人々を招待します。

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幸せな人生をお祈りします……ありがとう
by イスラームでは (2022-08-29 18:20) 

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