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「じじいも歩けば砥上ヶ原」


     
  「じじいも歩けば砥上ヶ原」 

     令和4年12月26(月) 
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  • 恥ずかしいことを告白すると、それは市民ホールの彫刻展でのことだった。この作品は「下からアップで撮った方がいいだろう」と腰を屈めた。撮り終えていざ立ち上がろうとしたら体重が後にかかり、そのまま背後に倒れてしまった。周囲は驚き慌てて男女の係員がかけより、じじいに手を差しのべてくれた。じじいは恥ずかしいもんだから「だいじょうぶです」と横向きになって自分で立ち上がった。立ち上がりながら思ったことは「こんなにも足腰が弱っていたんだ!」という実感だった。駆け寄ってくれた人たちは何事もなかったように、それでも気遣いながら遠ざかってくれた。

    しかし、じじいは「もっと歩かねば、もっと足腰を鍛えねば」と自分の醜態を思い出していた。そこで今日は藤沢駅の南に足を延ばしてみることにした。ここらあたりは相模原から引っ越してきた時期によく歩いていた。ただ、その頃は「藤沢の歴史を歩く」ことが目的だったから、あれこれ調べてはついつい長い文章になっていた。でも今日は「散歩の埋め草」として書いているから気楽なものである。だって内容に問題や誤解や勘違いがあっても「散歩の余興に書いているから」と逃げられるからだ。

    このあたりを鎌倉時代には「砥上ヶ原」と呼んでいたようである。それより時代を遡ると、天平時代(735年頃)は鵠沼一帯のことを「高座郡土甘郷」と呼んでいたという。この写真の辺りは元々江の島道沿いにあり、頼朝も京都の公家も関東の御家人も、歌人の西行も通った道なのかも知れない。「山家集」に西行が鎌倉の頼朝に会いにゆく途中で、この砥上が原を通り過ぎた時に詠んだという和歌が載っている。

    「芝まとふ 葛のしげみに 妻こめて 砥上ヶ原に 牡鹿鳴くな里」

    この砥上が原についても、いろんな説があって面白い。しかし、じじいが今から研究に参加したくとも、それには少々時間が足りない。ゆえに今回は先達の研究成果の聞きかじりを「じじいの忘備録」として残しておくことにした。

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yam

喪中につき新年のご挨拶は差し控えさせていただきますが
今年も引き続きよろしくお願いいたします
by yam (2023-01-01 10:11) 

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