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さくらさくら  [つれづれの記]




  さくらさくら 
                        
平成22年4月1日(木)

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  • 3月28日の日曜日は寒い日であったが、南武線宿河原駅付近を流れる、「ニヶ領用水」の畔で「桜を愛でる会」が催された。

    今年の桜は例年になく早く咲くであろうと思われていたが、開花前後からの雨降りや曇りの日、おまけに冬に戻ったような寒さもつづいて、なんと4月1日になってもまだ満開の便りは聞こえては来ない。

    このニヶ領用水の畔も桜の名所だというが、まだ聞いたことはなかった。
    当初の予定では、生田緑地(旧向ヶ丘遊園)の高台で花見をすることになっていたが、今回は焼き鳥やトン汁などを調理せねばならなかったことから、急遽ニヶ領用水の畔に場所を移したのであった。

    向ヶ丘遊園駅から、車でニヶ領用水の畔に着くと3分咲きの桜は用水の両側にあった。
    用水の右岸左岸は車道になっていて、車も通れるが花見客も通行できるようになっている。

    宿河原堰から呼び込んだと思われる用水はとうとうと流れ、その川面が眺められるように歩道が設けられていた。
    場所取り係りは、すでに青いビニールを敷き詰めて野点用の緋毛氈
    も敷いてある。

    場所が移動したこともあって、参加者がバラバラに登場する。しかし、それも一興で、次々に訪れるから前の客との話が一通り済んだころに、折りよく次の客が訪れるということになる。

    同じように野点の順番も上手く進んで、橋の上からにわかカメラマンが野点風景を撮っていいる。料理が並び寿司も出て、酒がすすめば焼き鳥がうまい。トン汁が身体を温めると、ついつい歌が出そうになる。

    花見はいつ果てるとも知らない。

    大人と子どもの9人を合わせて、33名もの参加者があった。まだ寒くはあったが、心温まる花見の宴であった。

    車座になって酔って絡んだり、見苦しい歌の飛び交うような花見ではない。
    数人が車座になって話し込んでいたり、焼き鳥やトン汁を勝手に取って来て食べたり、突然ビンゴゲームが始まったり、野点の席では子どもたちがチョコリンコと正座していたり、久しぶりに出会った奥さんたちが笑顔で会話を交わしている。

    まるでバラバラのようにみえていても、リーダーが一声かけると、全員が耳を傾けるといった自然の統率力もあった。

    4時間あまりがたちまちに経過して解散となった。しかし、この花見を提案・企画・運営した5人の仲間は、これから午後8時ごろまで後片づけがつづいていたのであった。

    「私たちが来た時よりも、花見が終って帰った後の方が綺麗になっている」ということを、ごく自然に実践していることが嬉しかった。

    もしも吉田兼好が隣にいたら、「今日の花見はどうでしたか・・・」と聞いてみたかった。

       ・  ・ ・  ・  ・

    寒い日がつづいて、ついに4月1日になった。
    今日が娘の誕生日ということで、寿司とケーキでささやかに祝った後で、腹ごなしにと外に出た。

    この数年、このあたりの桜の開花の目安を、この境川の畔の桜で確かめることにしていた。大道橋付近の桜はほぼ満開で、川沿いの歩道が桜のトンネルになっていた。

             P1100805.jpg

    大道橋をわずかに下って、新川名橋付近まで来るとまだ8分咲きであった。

    平日の今日は、ほとんど人の姿が見えないが、次の日曜日あたりにはそぞろ歩く人の方が気を遣うくらいに、花見のビニールシートが敷き詰められていることだろう。

        P1100806.jpg

    数人の人に追い越されながら奥田橋付近まで来ると、左手の奥の方に新林公園が見える。

    一昨年に見た山桜が気になって、自然に足が公園に向かう。
    春休みの小学生たちが歓声をあげて走り去る。
    老人仲間が、近くのコンビニで買い込んで来たのだろうか、立ったままで稲荷ずしと海苔巻きを食べている。

    桜と若い芽吹きが一つになって、まるで紗をかけたかのようにぼんやりとしている。

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    階段の上は桜の広場である。
    なぜだろう、そこまで上って桜が観たいとは思わない。
    ここの桜は、まだ花吹雪にははやいからなのだろうか・・・。

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    移築された民家の裏山は、全山山桜が咲き乱れていたが、ここでも山上の桜を見たいと思わなかった。

    一昨年は桜吹雪につつまれて、これなら遠いところまで桜見物に行くこともないだろうと思っていた。
    だがどうも桜の妖艶さというものは、まだしたこともないが、浮気を誘うものらしい。

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    あの西行法師が、「桜の下で春死なん」と詠んだことが、なんとなくわかるような気がする。


       ・  ・  ・  ・  ・

    今年こそ千鳥が渕の桜を観よう。京都の仁和寺桜を観に行こうと思いながらも、また果たせなかった。

    5日は雨降りだったが、60年前に一緒に小学校に通った同級生と会うために、中央線の八王子駅まで出かけた。

    小田急線沿線や横浜線沿いの桜は、冷たい雨に煙っていたが、1年の1回だけ見事に花を咲かせて、精一杯の自己顕示をしていた。

       ・  ・  ・  ・  ・

    明けて6日の朝のことであった。
    妻が突然「大庭城址の桜が観たい」といい出したのであった。それを妻が言い終わらぬうちに、愛犬は走り寄ってせわしく尻尾を振っている。

    昨日の雨に打たれた桜ではあったが、今年最後の力をふり絞るがごとく凄味さえ見せて咲いていた。

    桜回廊散る花吹雪
    花くい鳥か散らす花びら
    風に抱かれ舞いあがり
    春を惜しむか命かなしき

           P1100814.jpg

    桜色したカンバスに
    昨夜来の慈雨含み
    生きんとするか逞しく
    精気漲らせす黒々と
    墨絵のごとき幹猛々し

           P1100815.jpg

    桜回廊散る花吹雪
    日差し毀るるうらうらと
    萠いでたるか芝みどり
    春を惜しむか命かなしき

           P1100816.jpg

    桜回廊散る花吹雪
    昨夜来の雨に濡れ
    桜花びら流るる川面
    春を惜しむか命かなしき

           P1100817.jpg

    桜の回廊を巡りめぐると、薄萠の芝生の真ん中に、主木のごときソメイヨシノが咲き乱れている。

    咲きはじめのあの香るような清楚さはきえて、今にも崩れ落ちてしまいそうな妖艶さを漂わせて寝乱れている。

    酔うとは、このことであろう。

           P1100822.jpg

    桜回廊散る花吹雪
    日陰のかんばせまだ蕾
    薄紅色を散らせしは
    春を惜しむか命かなしき

           P1100824.jpg

           P1100827.jpg

    桜回廊散る花吹雪
    開花のころに幹も紅
    ひっそり咲きし一輪の
    春を惜しむか命かなしき

           P1100829.jpg

           P1100830.jpg

    愛犬のチワワに先導され、一群れの山吹に見送られて、大庭城址公園を後にした。

    藤沢市内に戻った時に、「遊行寺の桜も散りはじめているよ」と妻に呟くように言ってみた。
    「そうね・・・」という返事を聞いて、寺の駐車場に車を入れた。

    「こんなに近くても、ここの桜をまだ観たことないだろう。やがて池の畔の枝垂れ桜も見事に咲くよ。それが終ると参道の両脇と宝物館の前はボタン桜が道を覆うよ」
    「そのころにまた来ようか・・・」

    妻も珍しく、「そおね・・・」と呟くように言った。

     







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