「新版オグリ」を観た。
「新版オグリ」を観た。
令和元年11月4日(月)
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これから観に行く人もあるから内容には触れない。悲しいことは、1991年の初演のスーパー歌舞伎「 オグリー小栗判官―』を観たことは確かなのに、その記憶が曖昧である。その時も「藤沢と小栗判官」について書いたような記憶がある。
昨夜(4日)の歌舞伎は、久しぶりに娘と待ち合わせて観に行った。今朝は市民病院での検診があった。若いころは「こんなに保険料ばかり払わされて、病院にもいかずに無駄払い」と思っていた。ところが老いてくると、あちらこちらが壊れてきて「今日も病院、明日も病院通い」と情けないことになった。でも少しでも医療費を減らさないと、若い方々の負担が増加するから健康を心掛けねばならない。
検診が終わって天気も良いし、少し回り道だが「遊行寺」に寄ってみたくなった。アシスト自転車だから、あの箱根駅伝の難所である遊行寺坂もさほど苦にはならない。先ずは遊行寺本堂にお参りして、スーパー歌舞伎「オグリ」にも登場する遊行上人に手を合わせた。この本堂のわき道を少し上ったところに長生院(小栗堂)がある。ここは古くは閻魔堂とも呼ばれ、江戸時代の「東海道中案内記・藤沢宿」にも「小栗判官と照手姫伝説」が紹介されている。
誰もいない小栗堂の裏に回り込むと、小栗判官と十勇士・名馬鬼鹿丸・照手姫の墓がある。なんでも照手姫は小栗判官の死後、ここで尼となり余生を過ごしたとも伝えられている。藤沢には、遊行寺以外にも多くの小栗伝説が伝えられている。じじいも以前に、藤沢市民大学であれこれ調べたことも懐かしく思い出される。