玉三郎丈に魅せられた。
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珍しく大磯の柾美くんから電話があった。じじいがサプライズ大好きなのを知っているから「先生、今日は時間ありますか? 久しぶりにいろいろお話しながらモーガンで紅葉ドライブでもしませんか」と誘ってきた。前からモーガンに乗ってみたいと思っていたから、断るのは辛かったが「今日はこれから歌舞伎座なんだ。また別の日に誘ってください」と延期してもらった。
十月大歌舞伎の夜の部は、河竹黙阿弥作の通し狂言「三人吉三巴白浪」が幕開けであった。この芝居が小気味いいのは七五調の美しいせりふ回しにある。昨夜は9日の奇数日だから、お嬢吉三が梅枝・和尚吉三が松緑・お坊吉三愛之助の新鮮な顔ぶれであった。
前から妻が「玉三郎の踊りを間近で観たい」と言っていたので、今月は昼夜妻との歌舞伎デートとなった。最後の演目は玉三郎・児太郎が幽玄に舞う「二人静」であった。幕が下りて2人は同時に「観に来てよかった」と呟いていた。
実は、夜の歌舞伎は帰りが辛いのである。新橋駅から東海道線に乗るが通勤客でごった返している。川崎でも横浜でも座ることができずに立ちっぱなし。なかには席を譲ってくださる方もいるにはいるが、若くても通勤でお疲れだろうと丁重にお断りすることにしている。それでもようやく戸塚や大船で座れることもある。グリーン車も、この時間は満員で立ったままでいたこともある。だから妻は「もう夜の歌舞伎は無理です」と言い出していた。
でも昨夜は、藤沢駅に降り立って少し涼しくなったこともあってか「観に来てよかった」と繰り返していた。
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参考=能「二人静」より
吉野勝手明神では、毎年正月七日の神事に、ふもとの菜摘から菜を摘んで神前に供える風習があった。それでこの年も例によって神職が、女たちに菜を摘みにやらすと、一人の女が出てきて、「吉野に帰るならことずけて下さい。私の罪の深さを哀れんで、一日経を書いて弔って下さい。」と頼んだ。そして「あなたのお名前は」と尋ねられると、何も答えないで、夕風に吹きまわされた浮き雲のように、跡形もなく消えた。そんな不思議な体験をした菜摘女は、そのことを神職に報告するのだが、女は話しているうちに顔つきが変わり、言葉つきも変わってきたので、神職は、「いかなる人がついているのか名をなのりなさい」と言うと、「静である。」と名のった。さては静御前の霊が菜摘女についたことがわかり、「それでは、ねんごろに弔うから舞いを見せて欲しい。」と女に頼む。すると女は精好織りの袴や秋の野の花づくしの水干など、みな静が勝手明神に収めた舞いの衣装を宝蔵から取り出した。女がその衣装をつけて、舞いを舞おうとすると、いつの間にか静の霊も現れて、一人の女が二人になって舞いを舞うのだった。