SSブログ

三美女と龍口寺  

 
   三美女と龍口寺      
    令和元年10月14日(月)
                               
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  • 17日にワシントンに帰るという里さんと、気を利かせて江の島散歩を企画してくれた英子さんがパンダを誘ってじじいに会いに来てくれた。小田急片瀬江ノ島駅に11時30分に集合した。だれと言うことはなしに「今日はシラスピザを食べましょう」ということになり、江の島には向かわずに洲鼻通を江ノ電江の島駅方面に向かった。

    あずきがいなくなってから2年になるが、来なくなった洲鼻通は新しい店が多くなっていた。英子が「ここのイタリアンよ」と入り、早速シュワシュアワインと料理を注文した。いつものようにパンダがじじいにも料理を取り分けてくれるのを口に運んではワインを飲む。そのパンダが「わたし江の島に行ったことがないの・・」という。英子が「鎌倉のお寺に行きたい。できたら利枝子にも会いたい」と言い出した。

    でも外は冷たい雨が降っている。そこでじじいは「鎌倉までは無理だから、近くの龍口寺に詣でて、できたらパンダの希望の江の島に戻ろう」と提案した。ちょっとほろ酔いの3人娘とよぼよぼじじいは、江ノ電江の島駅前のセーターを着た雀に喜びながら龍口寺の山門に着いた。日蓮上人が入れらたと伝える土牢を見て本堂に向かったが、今日は「藤沢にゆかりのある音楽家たち2019 in 龍口寺」というコンサートが開催中でお参りすることができなかった。

    里とじじいが鐘楼で鐘をついて合掌していたが、さきほどから英子の姿が見えなくなっていた。どこだろうと探してみると、なんと欅造り瓦屋葺の書院の玄関で、体調がすぐれないと英子が腰かけていた。でも断りもなく勝手に書院に上がり込んだ罰当たりの3人娘に、驚いたじじいの撮った写真はピンボケだった(笑)。龍口寺を後にして、英子の体調を気遣って江ノ島行きを中止して、パンダが発車を止めていた藤沢行きバスに飛び乗った。

    藤沢駅について「散歩の締めくくりは、お馴染みのじじいの応接間『麻布茶房』であんみつを食べよう」ということになった。ここからはすっかり高等部時代に戻った3人娘は大笑いしながらの思い出話に花が咲いた。午後4時過ぎ体調の戻った英子たちと店を出て、アメリカに帰る里とハグをして、パンダと英子ともハグをして「青葉姦し娘」は小田急線の改札口に向かった。じじいは3人が見えなくなるまで見送ったが、それに気づいたのか3人が振り返り、人混みの中から両手を大きく振って消えていった。

    参考「龍口寺の法難」

     鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
     翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています。 

                72570416_2647607045262749_2927283506604146688_n.jpg
                72974198_2647607468596040_6232810549445394432_n.jpg
                72487482_2647610355262418_6041971846675431424_n.jpg
                           72292784_2647611461928974_4571669808130555904_n.jpg
               72378263_2647611911928929_8168693601291730944_n.jpg


nice!(4)  コメント(0)