SSブログ

覚園寺の仏さん      

  覚園寺の仏さん      
    令和元年10月24日(木)                           
          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  • バスは鎌倉宮が終点である。そこから覚園寺までは車のすれ違いのできないような狭い道幅である。そこでじじいの集団(湘南仏像研究会)は鎌倉駅からタクシー3台に分乗して山門前に降り立った。

    覚園寺は、薬師如来信仰の北条義時や元寇再来のなきよう祈願した北条貞時が、智海心慧律師をお招きして開山し、北条氏滅亡の後は足利氏の祈願所として栄えたと伝えている。

    ここ覚園寺は、お坊さまが50分かけて境内の堂宇などを案内するツアーが用意されている。午前10時に愛染堂前に集合だったので、山門近くに建つ層塔や愛染堂などを撮っていた。ところが後でお坊さまが「この寺での撮影は禁止です」と言われて、じじいは慌てて別のお坊さまに「実は2枚ほど撮ってしましました」と報告すると「いいですよ」と笑顔が帰った来た。

    ことさらに手入れをしているとも思われない木々の間に茅葺屋根の本堂薬師堂が見えた。堂内は薄暗く白内障のじじいには薬師三尊像がぼんやり見えた。もしかしたら微かな灯りで観るのが古刹の仏像鑑賞に適しているのかも知れない。なぜか薄暗がりに浮かぶ仏たちが、周囲の夾雑物を払いのけて語りかけてくれたように感じたのである。

    堂内には等身大の十二神将が安置されていた。一つひとつの仏像と対話して三体の伽藍神に手を合わせると、小さな窓から風が吹き込み薬師堂を囲む木々も風に揺れていた。

    じじいたちは愛染堂(愛染明王坐像・鉄造不動明王坐像)から、薬師堂(本尊の木造薬師如来坐像:国重文・両脇侍の日光.月光両菩薩像・十二神将立像:国重文・阿弥陀如来坐像:鞘阿弥陀)を拝観し、境内に移築されたのか旧内海家住宅・十三仏やぐら・千体地蔵堂・黒地蔵・六地蔵と巡って50分の覚園寺境内ツアーを終えた。

    昼食は鶴岡八幡宮前の「季節料理割烹あら珠」での懐石料理松花弁当であった。じじいの集まりは仏像拝観とお酒が楽しみである。しかし、ぼくは昼の酒が飲めなくなったのでカシスジュースでの乾杯であった。昼食後は、八幡宮内国宝館の見学と小町通散策の予定であった。しかし、ぼくは酒も飲んでいないのになぜかどっと疲れが出て、もし具合でも悪くなったらみなさんにご迷惑となるとお別れして、ひとり小町通りを抜けて横須賀線に乗った。

            72748324_2669663989723721_2057394226475302912_n.jpg      
                           72487474_2669661713057282_667515201439924224_n.jpg
          74316428_2669660873057366_6323310453879472128_n.jpg

                 


nice!(7)  コメント(0)