初台局をご存知ですか【一話】 [出会いびとの記]
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初台局をご存知ですか (一話)
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- 初台局をご存知ですか?
それは京王線新宿駅から、一つ目にある駅名ですよ。
いや、そうではなくて初台局のことです。
あゝそうか、それは初台にある郵便局のことでしょう?
いやいや、そうではなくて初台局(はつだいのつぼね)のことですよ。
これは私も知らなかったことですが、2代将軍徳川秀忠の乳母となったのが初台局という人だそうです。
この女性は大河内正頼の妹で土井昌勝に嫁し、後に家康公の正室の宝台院にもお仕えしたそうです。
その初台局は秀忠の乳母としての功績により、現在の渋谷区代々木に知行地を賜りました。その後の元和6年に幕府に願い出て、代々木の地に専西寺の建立を許されました。やがて老後を、この代々木の地で過ごされたそうです。
ゆえに、この地を「初台」と呼ぶようになったということです。
私は小田急新宿駅からルミネビルを突っ切り、京王新宿駅の改札口前から高層街方面の案内板の下を潜って、地下道をのんびりと歩き出しました。
ここは新宿の地下道の割には、あまり人込みに合わない通路なのです。
この先にある文化女子服装学院の学生が登下校する時間帯には、もしかすると混雑するのかも知れませんが、幸いなことに私はごった返すような人込みの中を歩いたことはありません。
でも考えてみますとこの地下道を最後に歩いたのは、一昨年の夏に新宿パークタワービルの最上階で開かれた結婚式の時でした。
ですから滅多に歩くことのない地下道なのですが、不思議なことに歩くたびに必ず何かのドラマが生まれるスポットなのです。
今回は「出会いびとの記」であることをよいことにして、その一つだけをかいつまんでご紹介しますと、
あれはこの先にある、新宿ワシントンホテルの開業当時のことですからもう相当に古い話です。
たまたま知り合いの結婚式に出席した時のことでありました。恥ずかしいことに、いささか祝いのふるまい酒を飲みすぎて新宿まで車で送るという好意を断って、酔い覚ましのためにこの地下道をひとりブツブツつぶやきながら歩いていたとご想像ください。
ほとんど人通りのない地下道を、若いカップルが抱き合うようにして歩いて来るのが目に留まりました。
地下道には私のつぶやきが靴音とともに壁にぶつかって反響しているらしく、そのカップルは突然立ち止まりました。若い男の方は直立不動の姿勢で、酔っ払いの私を迎えているのです。
これは酔い過ぎたために相当人相が険しくなり、もしかするとごろつきと間違えられたかと思いながら2人に近づくと、なんと知り合いのご子息だったのです。
私はいっきに酔いも醒めてしどろもどろになって、「やあ久しぶり、ご結婚が近いようですね」と言ってしまったのですが、その言葉をもう飲み込むこともできず、後は何をどう話したのかの記憶もないのです。
それから数ヶ月してその2人がわが家を訪れて、
「あの日地下道で結婚は近いですねとお声をかけていただいたので、伸ばし伸ばしにしていた結婚に踏ん切りがつきました。ですから次のデイトからは、毎回結婚式場探しのデイトになりました」
と言うではありませんか、だから私に主賓を務めよとの要請に出向いたというのです。
その彼が、昨年の9月に鎌倉で開かれた仏像展にも来てくれたのです。
そんなことを思い出しながら地下道から出て、文化女子服装学院の建物の豪華さと学生の多さに驚きながら歩いています。
きょろきょろしながら歩いている私の方が悪いのですが、軽くぶつかった女性が会釈しますので、私の方はそれより深く頭を下げました。
やがて道を挟んだ反対側に、あのバンクーバーで見た高層ビルのような薄い水色というか、雨上がりの青磁色の新宿パークタワービルが見えてきました。
そのあたりで、道路の左側にこじんまりした諦聴寺とその隣の正春寺の前に出ました。
(正春寺発行のパンフレットより)
いかにも寺らしいという「諦聴寺」に対して、寺の名としてはあまり聞いたことのない正春寺という寺の門を入ります。
実は、この寺は初台局(安養院)が建てた元の専西寺なのです。その初台局の娘である梅園局も、母につづいて3代将軍家光の乳母でありました。
梅園局は、木村吉次を婿としましたので当初は木村姓を名乗っていましたが、将軍秀忠の命により土井を改め柴山と改姓しました。その梅園局は、法名を「正春院釋尼清安」と称されましたが、この正春寺を開基された方です。
ですから、この寺の山号寺号は「湯嶋山安養院柴山正春寺(しょうしゅんじ)」と申します。
ついでに申しあげれば山号の「湯嶋」とは、当時幕府が新寺建立を禁止していましたので、初台局の孫の正入の住む湯嶋山専西寺の引寺として、代々木に寺を建てることが許可されました関係で、元の地名となる「湯嶋」の山号が残ったとのことです。
門から数十歩も入ると規模は小さいけれども、一段高く築かれている木造の落ち着いた本堂が建っています。
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(註)
この正春寺の縁起につきましては、寺の発行するパンフレット「正春寺」と、柴山家の皆さまからお聞きしましたお話を参考にしまして、いつものように読み物風なものに書き改めましたことをお断りしておきます。