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女優 村岡希美【二話】 [出会いびとの記]

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  女優 村岡希美
  (二話)

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  •  昨夜(10月18日)は久しぶりに都内に出て、赤坂のレッドシアターで芝居を観てきました。そこの劇場では「真心一座 身も心も」という劇団の公演があったからです。
     
     渋谷の「正春寺」(渋谷といっても、新宿駅の南口から歩いて20分程度の、新宿パークタワービル前の甲州街道を挟んだ向かい側です)での用事をすませて、赤坂見附の駅に着いたのは17時30分でした。
     改札口から押し出されるようにして外に出ると若い男女や買い物客、これから夜遊びに繰り出すのであろうか、若いサラリーマンの群れでごった返していました。
     
     事前にもらってあったチラシには「19:00開場」と印刷してありましたから、まだたっぷり1時間30分はあります。そこでなにはともあれ腹ごしらえが先だと、駅前のレストランに飛び込みました。
     急ぐ必要なんて全然ないのにひとりで飯を喰うという心細さからであろうか、店員の運んできたどんぶり物を慌ててかっ込んで灯の点りはじめた街に戻りました。
     
     わずか3、40分ほどの食事時間ではありましたが、すでに赤坂の街は黄昏て昼の顔から夜の赤坂に姿を変えていました。
     これからお勤めに向かうのだろうか、粋な和服姿の女性も行き交っています。店のショーウインドーをひやかして歩く男女の身なりも、先ほどとはどこか違って見えるのです。
     
     都内通勤をやめてから、すでに2年が過ぎました。
     あの喧騒の街をわけもなく飲みに飲んで、千鳥足で歩いていたことがもう遠い昔のことのように懐かしく思われるのです。

     だいぶ前に来たことがあるという娘からの説明の通り、赤坂レッドシアターはすぐにわかりました。
     ビルの地下にある劇場の入口では、スタッフらしき人たちが出たり入ったりしています。1.5m四方もあろうかと思われる真っ赤な看板が歩道際にあって、公演中や次回公演を知らせる数種類のチラシが挟み込んでありました。

     私は劇場の入口をもう一度確かめてから、そのまま通り過ぎました。
     時間つぶしにわけもなく日暮れた赤坂の街をぶらついてから、ふたたび劇場に戻るとすでに観客らしき人たちが地下に降りて行くのが見えました。

      
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     記憶違いでなければ、当日の私の席は舞台に向かって左側の「K列4番」だったと思います。
     そのうしろの席には照明スタッフらしき人たちが陣取っていましたから、おそらくそこが客席の最後列だったと思います。

     腰掛けた時にはずいぶん舞台から遠い席だと思っていましたが、そのこと以上に問題だったのは、芝居の間中ああでもないこうでもないと論評する声々が聞こえて来るのです。
     これはもしかすると、演劇関係者の溜まり場となっている区域ではなかったかと思ったのです。
     
     観客数200席ほどの小さな劇場です。
     いよいよ開演という時間になると、それまで場内整理をしていた劇団スタッフらしき人たちが、慌てて折りたたみ椅子を通路の階段に並べて腰を下ろしたのです。

     この種の劇団公演がどれほどの客を呼べるものか知りませんが、平日の夜の公演で劇団スタッフが座ることもできないほどの入りであることと、見た目からも演劇関係者ではないかと思われる客の多いこととを考え合わせると、この劇団の活動が予想以上に注目されていると見てもよさそうです。

     私のように少々衰えてきた老眼の目には、役者の顔が少し見えにくい席ではあると思っていました。
     しかし、最後尾にある「k列4番」という席が特別な席であるということに気づいたのは、芝居もだいぶ進んでからのことでした。
     
     このようなこじんまりとした劇場での空間利用や場面展開のための有効策としては、出入り口や客席までを含めて、会場全体を舞台化することにあることは素人でもわかります。
     ここでも当然のことのように観客の出入り口が花道となり、ステージの一部となっているのです。 
     
     でもそんなことは歌舞伎座や新橋演舞場でも行われているし、幼い頃にみた村祭りの小屋掛け芝居や常設小屋の芝居でも飽きるほど見ています。
     股旅物なんかでも、役者は莚の敷かれた客席を縫うようにして歩き回り、白粉の匂いを振り撒きながら舞台の役者に向かって決め台詞を投げかけます。すると舞台の敵役は、悪口雑言の捨て台詞を吐いて見得を切るのです。
     観客は若武者の衣装に触れんばかりの身近にいるからこそ、非業の最期を遂げた父親の敵討ちに加担しようとする心が高揚してゆくのです。
     
     蛇足になリますが、莚敷きの客席がなくなって椅子席になり、芝居弁当がなくなり篝火や蝋燭とは言わないまでも、裸電球がなくなったことで、少しオーバーな言い方をすれば日本の芝居というもののよさが半減したと思っています。
     だからといって、こんな取るにも足らないようなことで目くじらを立てて、既になくなったものへの郷愁をわめくつもりもありません。
     そこでは失われてしまったからからこそ、新たな創造性や工夫を生み出すであろう土壌が養われていることを信じているからです。

     またまた話が横道に逸れてきましたので、先ほどの話に戻しますと、
     あの西洋劇でも新劇でも、浅草のコントでも、それこそ古今東西行、ここぞという場面では必ずといってよいほど使われる演出手法ですから、ことさらに珍しいことでも改めて取り上げるほどのことでもありません。
     
     しかし、このように古くなってしまった演出手法ではありますが、それでも捨てきれずに残されているということの裏には、そこに関わった演出家の創意と工夫によっては、古いどころかかえって新鮮で衝撃的な劇場空間を現出させるだけの効果が期待できるからだと思います。
     
     もしかすると今夜の芝居は、観客に臨場感をいだかせるという演出から一歩進めて、観客たちを舞台で演ずる役者とまるですり替わったような錯覚を覚えさせるという演出効果を狙ったものではないかと思ったのです。
     この芝居の演出家が、「独特の芝居」づくりの一端として、こんな企みを用意していたとしたら愉快ではないかと思ったのです。

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      「女優村岡希美」のことを書くのを忘れて、その外堀ばかりを埋めはじめています。そんな時は、この「真心一座 身も心も」で発行していますパンフレットに頼るしかありません。 

     前回でも引用させてもらいましたが、座付き演出家河原雅彦氏が、パンフレットの冒頭の挨拶文として書いています。その一部分を抜粋しますと、
     「皆様のお力をお借りして、前回に続き、今回も大変¨独特な芝居¨に仕上がったのではないかと思います。
     ま、一座のコンセプトが¨小劇場の大衆演劇¨ですから、独特で当たり前といえばそうなのだけ ど。やー、いい本番になるといいですね。やることビックリするぐらいてんてこ盛りだけど。」
    と記していますが、ここにもみられるようにどうも河原氏は「独特の芝居」づくりを目指しているらしいのです。

     芝居の台本や役者の演技にかかわる諸々の事柄については、専門家の筆に任せることにして、私は私で素人の視点で演出家のいう「独特の芝居」とやらを、自分勝手な角度から覗いてみようと思ったのです。

     だって上演された芝居は、それ一回きりのものですし、芝居の全ては観客の自由な裁量に委ねられているのですから、私は私で、気楽に楽しみ気ままに考え、気がむくままに書かせていただきます。


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