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「青葉クラス会」(昭和55年~77年度) 

 
   「青葉クラス会」(昭和55年~77年度)      
    令和元年9月14日(土)
                               
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  • 〇車園のご好意で、前々から「この2階の桜の間で食事をしたかった」と思っていた座敷に通された。この部屋に入るには、水〇じじいの彫った観音様をご覧いただかねばならぬのだ。文化財級の美術品がごろごろしている〇車園なのに、初代女将が「先生のこの観音様は、ここに置かせていただきます」と安置くださったからだ。床の間にはススキとオミナエシの秋の花が活けられ、円覚寺元管長慈雲ご老師ご揮毫の「清風名月」の掛け軸が青葉組を迎えてくれた。

    順子幹事の挨拶と亡くなったクラス仲間の御霊安かれと黙祷、つづいて本日参加できなかったクラス仲間のメッセージや近況が紹介された。突然に指名されたという龍太くんの乾杯の音頭で和やかな食事と歓談が開始された。本日の参加者は9人であった。じじいは参加者が多いほど嬉しくなるのだ。しかし、近頃では「10人程度の集まりの方がみんなの顔を見ることができて、一人ひとりの話をゆっくり聞くのに最適だ」と思うようになった。

    それなのに今日も、こんなボケじじいの話に耳を傾けてくれるものだから、じじいはついつい嬉しくなって、なんと12時から16時まで喋るに喋って声まで嗄れていた。高校卒業式以降会っていない教え子もいて、その再会に感激してくれたがじじいはもっともっと感激していた。喋ることがじじいの職業病であるが、ふと気づいて「〇越は喋り過ぎです。今からみなさんの3分間スピーチです」となった。

    先ず大くんから・美樹さん・真由美さん・健嗣くん・加奈さん・龍太くん・公代さん・順子さんと近況や高校時代のエピソードが語られた。そのみなさんのスピーチの間にも、〇越じじいがあれこれ茶々を入れるものだから、3分間のはずのスピーチが5分となり10分ともなった。それだけ卒業以来の時間が過ぎたからだろうと思いながら、また懲りずにじじいは茶々を入れる。

    記念写真を撮って、桜の間に「〇川学園校歌」を響かせた。そして武具陳列室を、〇臣くんの解説で見学した。さらに「昭和45年以降高校教職員の慰労会・新年会・新旧歓送迎会」などが開かれた大広間に案内した。いつも出席された國芳先生のお席やエピソードを、じじいは昨日の出来事のように語ってシアワセであった。

    みなさんは名残惜し気に〇車園前から帰れないでいる。なかなか出てこない〇越じじいのことを待っていてくれたのかも知れない。誰ということなく「この光悦垣を背に写真を撮りましょう」ということになった。やはりこれは名残惜しいからだ。

    〇越じじいは今朝になってもまだ疲労困憊である。立ち上がることもできないほど草臥れ切って、またアリナミンを飲みながらパソコンに向かい青葉クラス会の記事を打ち込んでいる。でも疲れていても心だけはすがすがしいのであった。

    ※参加のみなさん、たくさんの飲み物お菓子の差し入れをありがとう。〇臣くん日本酒2本の差し入れをありがとう。〇車園の二代目女将は、今回も学割(?)で時間も自由にしてくださり、何から何までありがとうございました。三代目女将候補の〇央さんと〇臣くんはじじいのお迎え車をありがとう。四代目女将候補の〇奈ちゃん、今日も笑顔で抱っこしてくれてありがとう。

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