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そうだ京都に行こう 【6】       [そうだ京都に行こう]

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  そうだ京都に行こう
         
(その6 下鴨神社まで)

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  •  タクシーに乗ってからの娘は語りつづけていました。

     加茂川と高野川が合流する河原町今出川の交差点にさしかかります。
     先ほどから娘と話が弾んでいた運転手さんは、「下鴨神社には入口の河合神社からゆかれますか、それとも下鴨神社前までゆかれますか」と聞いています。

     娘は私を見ながらも、その私の返事を待つこともなく、「すみません下鴨神社前まで直接行ってください」と伝え、また前の話に戻して、「観光客のあまり行かない京都観光」について質問しています。
     
     タクシーを降ります。ここはもう下鴨神社の本殿のすぐ脇にあたりますから、一歩境内に入るとやしろの杜がつづいています。
     私に「京都に行こう」と言い出した時の旅の目的は、いままでに京都を何度も訪れているのに、一度も訪れたことのなかった下鴨神社にお参りすることにあったようです。

     だからといって、どうして娘が下鴨神社に興味があるのかを聞いたこともありませんし、また聞いてみたいとも思っていませんでした。ただ前々から、葵祭りの時に来てみたいと話していたことは覚えていました。

     あるいは「源氏物語」や「枕草子」の舞台となっていますから、そんなことからこの下鴨神社にも関心があったのかもしれません。
     いずれにしても彼女は、先ほどから神々の祭られているやしろを一つずつ覗き込み、案内板の説明文をしきりに読んでいます。
     
     妻と京都の桜を観に来た去年の春、この神社にもお参りをしたのでついつい私は先に立って歩いてしまいます。一人になって本殿前の守り札頒布所や舞楽殿などをブラブラ覗いていました。

     しばらくして追いついた娘はどうしたわけか、どことなく不機嫌な顔をしています。その顔を見て、「お父さんは去年お参りしたから、本殿にはお前だけで行きなさい」と思いがけない言葉で言ってしまったのです。

     すると娘は、本殿前に立てかけてある看板を指さして、「大炊所が公開中よ。お父さんも見たことないでしょ。こういう機会は滅多にないから見ておきましょう」というのです。
     その看板を見損なっていた私はぐうの音も出ずに、娘に言われるままに門を入って、神職のいる受付に向かい拝観料を納めました。
     
     本殿正面の左側に、高さ1mほどの大きな透かしのある竹垣があります。ロックのついている戸に、少し嫌な気分ではあったが、その戸を押すようにして入ります。
     そこは三井社(三神)をお祭りしてある小さな庭となります。大炊所(おおいどころ)に行くのには、その庭を突っ切り、さらに石塀を右に入り込んだところを入ります。

     本殿前には多くの善男善女がお参りしていましたが、ここまで来る人はさすがに少ないようです。

    この庭は全体で300坪くらいでしょうか、そして10坪ぐらいのこじんまりした建物が2棟建っています。
     この庭を「葵の庭」と呼んでいるようですが、果林の古木があることから「カリンの庭」とも呼ばれているそうです。「大炊」の文字のとおり、神饌(神へのお供え物)を調理する重要な社殿ですが、ここは穀物類を調理する場所でありまして、魚や鳥などは別棟の贄所(にえどころ)で調理します。

     カリンが植えてあることからも、ここは御薬酒も造るのです。ですから、この庭の建物の裏側には薬草園があります。今日は特別公開中であることから、観光客へのサービスでしょうか、イカリソウ・フタバアオイ・ヤブカラシ・ヤブランなどの20種類の薬草が、写真入りで展示されていました。

     私はいつものように説明するでもなく、ただぶつぶつ喋っているのですが、娘も心得たものでその話を聞いているのかいないのか分かりません。
     靴を脱いで建物に上がり、竈や調理道具、高杯などのお供え物を載せる器具類、そして神饌をお供えした当日の写真などを興味深げに見ています。

     私も大炊所が珍しくて、この庭からなかなか立ち去りがたいのです。庭をグルグル廻ったり、また建物に入ったり、神の降ったと伝える降臨石の説明文などを読んだりします。

     その時娘と二人だけであった大炊所の庭に、突然若い男女と子どもを連れた親子、信者らしき衣装の人たちが入ってきました。
     私たちは、その人たちと入れ替わりに外に出ました。ここでやっと本殿に礼拝し、本殿前にある「言社」の中に干支を探します。
     
     言社は1m四方くらいの小さな社です。大国主命はその七つの働きによって、七つの名前(社)がありまして、その七つの社がお祭りしてあるのです。
     私は三言社(南社)の八千矛の神(辰・申年の守り神)にお参りしました。娘は反対側にある二言社(西社)の顕国魂神(午年の守り神)の前で、しばらく手を合わせているようでしたが、私はなるべく見ないようにしていました。

     本殿を後にした私たちは舞楽殿などの建物を拝観しながら、末社の任部社(とべのやしろ)の前まで来ました。この社の三本足の烏を見ながら娘は、「下鴨神社は、もっと奥深い杜なのかと思って期待していたけど、どこにでもあるような普通の神社だった」と話します。

     彼女が、どんな神社を期待していたのか知らないが、ここに来る前に想像していたものとの違和感を感じたのかも知れません。同じようなことですが、物語などを読んで自分でつくり上げた世界とのずれを感じたのかも知れません。

     糺(ただす)の森を歩きながら、みたらし池の文字を見つけて「去年お母さんと来た時に食べた、みたらし団子でも食べようか」と誘ってみます。彼女は生返事をしながら、参道の小石の道にしゃがみ込みます。

     具合でも悪くなったのかと顔色をみます。何の変化もないので安心して「どうした」と聞きますと、「このきれいに光るものはなんだろう」と指さします。私が拾い上げますと「汚いわよ」と言いながらも興味深そうに覗き込みます。

     「これは玉虫だよ。あの玉虫厨子の玉虫だよ」と言いますと、「はじめて見た。丸いのが玉虫と思っていた」と言うのです。
     本物を見たことがなかったので、コガネムシ(カナブン)のことを玉虫と思い込んでいたらしいのです。田舎で育った私が、日々の生活の中にあった玉虫を、都会育ちの彼女にきちんと教えていなかったことを恥じていました。

     娘はそんな気持ちの私に関係なく、「ここに来てよかった」とポツリと言うのです。
     つづけて、「この玉虫を見ることが出来ただけでも、この杜に来たかいがあった」と付け加えるのです。その言葉を聞きながら、私にも娘に話したいことがあったのですが黙っていました。

     私の手の平にある玉虫を見ながら娘は、「お父さんその玉虫を、そこの見えるところに置いといてよ。またどこかの親子が、これが玉虫だと見つけるかもしれないから・・・」と言うのです。

     糺の森が途切れるあたりに河合神社が見えています。「石川や瀨見の小川の清ければ月も流れをたずねてやすむ」と詠んだ鴨長明のことが思い出されます。
     厭世観から50歳で出家したという長明は、この河合神社の神官の家に生まれたのです。しかし、この和歌の下鴨神社の杜を流れる「瀨見の小川」を詠んだころは、まだ長明が世の無常を感じてはいなかった時期ではないかと思いたいのです。

     去年の春、妻と散り残った桜を観ました。あの日みたらし団子を買った店の前で、妻は初めて立ち食いをしたのです。
     その店がどうしても見つからないのです。娘はこちらの気持ちも知らないで、「わたし団子なんていらないよ」と冷たく言い切るのです。
     
     やしろの杜を出て、高野川と加茂川の合流する加茂大橋に向かいます。橋のたもとでは、先ほどからカメラを手にした女性がしきりに河原を覗き込んでいます。
     その視線の先には、葦のしげる河原を2匹の鷺が見え隠れしていました。


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