そうだ京都に行こう 【完】 [そうだ京都に行こう]
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そうだ京都に行こう
(最 終 回)
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- 京阪出町柳駅前のファーストフード店の前で、娘は立ち止まりました。
躊躇する私に「かるく食べておきましょう」と店に入りかけます。そういわれてみれば下鴨神社にお参りする前に、すでに昼食の時間は過ぎていたはずですから腹は空いていました。
「ここで食べるの・・・」と私が言い終わらないうちに、「違うのどが渇いたから、お茶だけしましょう」ともうドアを押しているのです。
この種の店の嫌いな私は、「今まであまり入ったことのないような店に、京都に来てから何度も入らされた」と思いながら、「まあ今回は娘とのぶらり旅だから仕方がないか」とつぶやきながら娘につづいて入ります。
黄色のビニールクロスを円形に張ってある椅子と、それに合わせて丸く切ってあるテーブルに、私の腹を滑らしながら腰掛けます。彼女は「ここで待ってて」と言い残して、カウンターに注文に向かいます。
この種の店は若い人ばかりが利用するとばかり思い込んでいたが、私と同年輩の男性もハンバーガーを食べています。中年の夫婦もいます。おじいさんと孫らしき二人づれもいます。
彼女はポテトフライとジュースをテーブルに置いて、「これなら、お父さんでも飲めるわよ」と言いながら、自分は別な飲み物を飲んでいます。
蓋がついているので中身までは分からない液体だが、一口飲んでみると甘酸っぱくて私にもなんとか飲めそうです。
私には電車の中や公園のベンチなどで、ついついやってしまう癖があるのです。それは人間のあらゆる行動に興味があるからなのですが、それとなく周囲の人たちの行動を観察してしまうという妙な癖なのです。
この店でも客の動きを見ていて気づいたことですが、お客が見事に躾けられていると感じたことです。
客はカウンターまで進んで並び、品物を注文し、トレーに乗せて自分の席まで運び、静かにハンバーガーを食べて、飲み物を飲む。
ゆっくり本などを読みながらの食事が終わると、テーブルに散らかっていたものをふたたびトレーに乗せ、店内に設置されているゴミ箱(?)に、燃えるもの・飲み残しのジュース・スプーンやタバコの吸殻などをきちんと分別してボックスに投入し、最後にトレーを片づけて店を立ち去るのです。
おそらく街中ではジュース缶や吸殻をポイ捨てするような、茶髪の若者(失礼しました。近頃では私たち大人のマナーの悪さの方が目立ちます)までもが、きちんと片づけて立ち去るのです。これはもう一つの感動でありました。
以前暴走族が大暴れしていた時期に、台湾から来ていた若者が、「みんなは暴走族を悪くいうけれど、日本の暴走族は真面目だよ。この間も横浜で何十台もの暴走族を見たけれど、彼らは信号の前ではちゃんと停まっていたよ」と話していたことを思い出していました。
最後のポテトフライを口に運びながら、「どうしょうか、これからどこに行こうか」と娘が聞きます。
もうすっかり疲れてしまったので、「昼ごはんでも食べて、どこかでゆっくり・・・」と、また私が言い終わらないうちに、「新幹線の発車時間までには、まだ5時間もあるから、いま少し歩きたい」というのです。
とりあえず地下道に入って、京阪出町柳駅から京阪四条駅に向かいます。それというのも彼女が、「錦市場で、お母さんのお土産を買ってお昼ご飯を食べましょう」と言っていたからです。
予定のコースはひと通り見終わり、あとは新幹線の発車までの余韻を楽しむだけとなっていました。
そんな気分であったからでしょうか、身体は疲れてはいるのですが、歩くことでなぜか疲れが消えてゆくように感じたのです。
店の中から、表の歩道にまで吹き出しているクーラーの冷気を楽しみながら、四条河原の高島屋を過ぎたところで、右に曲がって新京極に入ります。
ここはいつも混雑しています。両側の店をのぞいて冷やかしながら歩いていると、いつの間にか錦市場に入り込んでいました。
あげ饅頭の店先で、応対に出た若い外国人店員の流暢な京都弁に驚きながら、その何軒か先の店で妻へのお土産第1号として、ニシンの煮付けと京漬物を買いました。
遅くなった昼ごはんを、「あの店にしよう、この店にしよう」と迷っているうちに、だんだん疲れてイライラしてきました。ころはよしと思ったのか、娘は「ここにしましょう」と焼餅屋に飛び込みました。
ここでも娘の作戦勝ちでありました。
というのもいまマスコミに売り出し中のお店のようで、テレビか雑誌か分からないが店員に取材の記者が質問しているし、ピカピカと光るテレビカメラのライトも眩しいのです。
その勢いに乗ったとも思いませんが、娘はメニューをのぞきながら次々と注文しています。なんだ、ここも予定のコースだったのかと、敗戦を認めながらも、「それにしても京都に来てから、ご飯らしいご飯を食べていないなぁー」とため息をついて、磯辺巻きをほお張っている娘をのぞき見るのでした。
昨日京都に着いたときから、烏丸通りにある「漫画博物館」に行きたいと何度も私を誘うのです。もう漫画でもないだろうと思いながら、「いやだよ。ゆきたいのなら自分だけでゆきなよ」と拒否しつづけていました。
それでも彼女は新幹線の時間までには、まだまだ余裕があると考えて、何が何でも漫画博物館を見てやろうと思ったのでしょう。
その娘の思惑とは別に、私も烏丸にやり残したことがあるような気がしていたから、「ぼくは見ないが、烏丸までなら付き合うよ」と言ってしまったのです。
私たちは別々な思いで錦市場を後にして、錦小路通りを西の方面烏丸に向かって歩き出しました。せまい小路は地元京都の人たちの生活道路です。車も遠慮がちに走ります。
水撒きも小さく柄杓を回しています。道沿いに「おばんざいの店」の看板がいくつもありました。庶民的な、それでいて京都の料理をうまく食わせてくれそうな店構えです。
こんな店なら、きのうの晩の娘の誘いにのってもよかったかなと思っていましたら、「いい雰囲気の店が多いよね」と、すでに私の心を見透かしているような顔で話すのです。
烏丸通りに着くと、「おとうさんサッと観てくるから、博物館の喫茶店でお茶でも飲んでいてよ」と、私も付き合うものだと決めてかかっているのです。
そうはいかんぜと「いいや、ぼくは六角堂にゆく」と言うと、六角堂には昨日も行ったのに、なぜまた行くのかといぶかるのです。
でも、それ以上は聞きもせずに、「じゃぁ、1時間後に烏丸三条の交差点まで来てね」と言い残して、烏丸通りを北の方向に歩いてゆきます。
私は烏丸通りを右に折れて、昨日も来た六角堂の小さな山門を入ります。午後4時という時間のためかお参りの人はいません。私は六角堂を独り占めにした気分でゆっくり堂の裏手にまわります。
たくさんのお地蔵さんの顔をのぞき込みながら、池坊会館の入口に立ちました。ここは聖徳太子が沐浴した場所であるという言い伝えのあることを思い出していました。
その太子が、御持仏の観音を小野妹子に託した場所であるという伝説も記憶の底から浮かんできました。その小野妹子(小野専務)の寺坊が、この池のほとりにあったことから「池坊」を称したと伝えています。
だから現在の池坊専永氏が頂法寺の執行職を努め、立花の奥義を伝えているということにも、ことさらに伝統の重みを感ずるのです。私の記憶違いでないとすると、専永氏は妹子と同じ姓で小野氏ではなかったかということです。
そうすると「専」の文字と「小野」氏が脈々とつづていることとなり、いまさらながら「池坊」と「頂法寺(六角堂)」との深い縁もみえてくるのです。
「御用の方は受付まで」の案内札をみて、ここから入って館内を見学させてもらいたいと思う衝動を、なんとか抑えて六角堂を一周して堂の入口までもどります。
この六角堂をふたたび訪れたことで、昨日は疑問に思っていた「六角堂と池坊」の疑問が解けました。
そのお礼にお線香でも手向けようと思い、堂内に足を踏み入れようとしました。誰もいないと思っていた堂内に先客がいたので、その足がとまりました。
白くて深い帽子を被った女性が、そっと手を合わせているのが見えたからです。
木綿の生地とみえた清楚な服装で、そのやわらかな白い衣装は、くるぶしまでが隠れそうに長いものでした。30才ぐらいでしょうか、すこし痩せすぎと見えるが、その女性の顔を見ることはできません。
ただ静かなたたずまいで、どことなく気品があるのです。私は堂内に入ることが憚られて、堂の前に建つ土産物屋のガラス戸を開けていました。
もういないだろうと思って外に出てみると、かの女性はまだ縁結びの柳の下をゆったりと歩いていました。ジリジリと照りつける太陽も境内までは射しこまず、なぜかひんやりとしているのは、この女性の緩慢ともみえる動きにあるようです。
私は思考力を失い、午後の京都の六角堂で、現実離れした不思議な光景に引き込まれていました。
女性が屈んで靴紐をなおしています。そのとき突然男の子が飛び出して来て、その女性の細い腕にぶら下がるのが見えました。後からついて来た父親らしき人は、紙袋からパンフレットを取り出して女性と男の子に語りかけています。
私は、頂法寺の山門にある六角堂の由緒書を読み終わりました。やがて、その山門から離れて鐘楼の由緒書も読みました。しかし、その文面をどうしても思い出せないのです。
私はなぜかホッとして、娘との約束場所である烏丸三条の交差点に向かいました。その交差点の周囲には木が植えられてあり、ベンチが置かれてバス停もあるのです。
夕涼みなのか、それともバス待ちの人なのか分からないが、その人たちの隣のベンチに腰掛けました。そこからだと、娘が「京都国際マンガミュージアム」から出てきたときに、いち早く発見できると考えたからです。
ペットボトルのお茶を飲みながら、昨日京都に来てからの様々なことを思い出していました。そのとき信号が変わろうとする交差点に、六角堂で会った3人の親子の小走りする姿が見えました。
どうしたかと、それを目で追いかけると、反対側の信号で止まっていたタクシーに、父親・子ども・母親の順に、ッと乗り込んだのがみえました。
もとの位置に目をもどすと、交差点の反対側まで来た娘の手を振るのがみえました。
あと1時間30分ほどで京都を離れます。
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ほんとうのドラマは、ここからはじまるのですが、あとは読者のご想像におまかせします。
2007-08-10 09:32
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