和「昭和15年という年」 [「午」シリーズ (2014)]
和「昭和15年という年」
平成26年1月00日(0)
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- 最近になって「お名前と生年月日を教えてください」とよく聞かれるようになった。病院などでは間違い防止のためだろうが、その日の受付から始まって採血・検査・薬剤の受け取りまで、それこそ何度も何度も姓名と生年月日を聞かれるのである。
現役時代であるなら、就職や転勤や免許の更新の時以外に、それほど生年月日を聞かれるようなことはなかった。ところが、この年になっていろんなところで「生年月日は」と聞かれるのである。これはもしかしたら「お前がボケてないことを確かめているんだ」と聞かれたような気分にさせられるのである。
それと、もう一つ気になることがある。これまで「昭和15年」の生まれが新聞に載ることは稀であった。特に犯罪などをしでかして新聞沙汰になるような者など見たこともない。こんなことを言うと、どこかで統計学者が「そんなことあるもんか」とお笑いになるかも知れない。しかし、私の知る限り「昭和15年生まれ」が新聞沙汰にはあまりならなかった。
それは逆な見方をすれば、「なにもできない影の薄い昭和15年生まれ」と言えるかも知れない。ところが、最近になって「昭和15年生まれ73歳」の文字を見かけるようになった。それらの多くは訃報であって、この人も同じ年だったのか驚かせれたり、中には万引きで捕まった昭和15年生まれの人もいた。
このように影の薄い昭和15年生まれであったことが、近ごろではなんとなく愛おしく感ぜられるようになった。私の幼いころに、「お前が生まれた年は皇紀2600年で、日本中が提灯行列で祝ったもんだ」と聞いたことがあった。その提灯行列が、まるで自分の誕生を祝ってもらったような気がしていた。
しかし、その後も提灯行列がなんであるかについて知ることはなかった。