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「心閑」に逢えました。



   「心閑」に逢えました。    
    令和3年3月3日(水
                               
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  • 横浜そごうで開催中の院展会場は、例年とは異なりチケットのもぎりもなくただ検温器に手をかざすだけであった。それも木曜日の昼前という時間帯だったから、暇人のじじいと同年代の人たちばかりでゆったりと84点の作品を観ることができた。

    前にも書いたがじじいは日本画のことなどなにも分かりはしない。しかし、そんなじじいでも静かに作品の前に立っていると、その色遣いや筆遣いや作者の息遣いまでもが感じられるようになる。

    里沙さんの作品「心閑」の前には先ほどから老夫婦が語り合っていた。なにを語らっているのか知らないが、邪魔にならぬようにじじはしばらく隣の作品「水の煙」を眺めていた。

    「秋なのだろう。それも深まった秋の水面には大きな黒々とした裸木が映っていた。大小の波紋が水面にあるすべての物に波動を伝えていた。それはあたかも観るものを現実世界から異次元へと誘い込んでいるかのようだった。それなのに金箔で押したもみじ葉だけが、まるで波動に抗うかのように美しく輝いていた。ここに描かれるのは晩秋なのに、なぜか明るくやがて訪れるであろう春の息吹を感じさせていた」

    「無知は罪なり」と先人が言ったが、じじいは「間違ってもいいじゃないか、こうして里沙さんの画を観つづけられたのだから!」と嬉しくなった。なんと、そこまで来たじじいは取って返して昔同僚だった教員〇〇進氏の「夜風」の前に戻った。

    「ほのかな月の光に山間の田畑がぼんやりと見えた。その周辺の立ち木や林や森にも月の光は届かない。だから微かにかすかに鬱蒼として闇だけが広がっている。その荒涼とした闇の彼方に山並みが連なっている。その山の頂だけが微かに青白く見えたのはおぼろ月の光があったからだろう」

    今はもう会うこともないが進さんとはよく飲んだものだった。当時から彼の作品は「月と樹木がテーマだった」と記憶している。あれから30数年の年月が流れているが、彼は院展に出し続けているがじじいは今日も拙い仏像を彫っている。

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