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「息子と娘道成寺」-初春大歌舞伎 夜の部ー [令和6年 (2024)]



 「息子と娘道成寺」初春大歌舞伎・夜の部
 
        令和6年1月13日(土)
   
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  • ここ数日は、じじいとしてはいささかハードな日々を過ごさねばならぬ。だからといって、その忙しさを嫌っているのでもない。もし嫌なら、そんな予定を組まなければいいだけのことである。

    娘にも「もう年なんだから、カレンダーを予定で埋める必要なんてないんだよ!!」と説教されたこともある。この若いころからの習性は、今や病気の域に達している。こんな冗談ばかりの言いたい放題の祟りであろうか、ここ10年の冗談で言っていた「病」とやらに襲われて往生している。

    もしかしたら、これらも老いぼれじじいの「死に急ぎの範疇」とやらに入るのかも知らん。だが元来脳天気なじじいは、たとえ他人様がなんと言おうともお構いなしで「面白おかしく残りの命を愉しもう!!」と今夜も歌舞伎座に向かった。

    今夜の出し物は、祝祭舞踊「鶴亀」と初春恒例「寿曽我対面」と小山内薫翻案「息子」に歌舞伎舞踊の大作「京鹿子娘道成寺」の4作だった。初春興行だから、例年通りの目出度い演目ばかりだが、じじいとしては目出度くも明るくもない小山内薫の「息子」に興味をそそられた。

    ところが、この作品は以前に観たはずなのに、どこで観たのか、どんな内容だったかの記憶が全くない。今月も中嶋正留くんの担当する舞台美術が数作あった。この「息子」の舞台は、寒々とした雪の河原に、これも雪を被った小さな火の番小屋がぽっんと一軒あるだけだった。このあたりが殺風景だからこそ、詫び住いする白鴎と染五郎と幸四郎の高麗屋三代の台詞が、その寒さと相俟ってしみじみとする親子の情が伝わってくるのだ。

    ※「息子」は小山内薫の翻訳劇であって、新歌舞伎の代表作でもある。原作者はハロルド・チャピンの「父を探すオーガスタス」だという。ところが小山内は戯曲の初出時に、既に原作を明示したという。なのに多くの観客からは「翻案劇とは思われない」という感想が多く寄せられたという。

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