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游「箱根駅伝を見ない」 [「游」シリーズ (2012)]

  游「箱根駅伝を見ない」
         
                      
 
平成24年1月2日(月)
                               
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  • 今年は「箱根駅伝」を見ない。

    そう書いておきながらも、10時30分になると外に出た。ここ藤沢の南仲通交差点は、もう人だかりで肝心の道路すら見えない。観戦するつもりもないから、それでもいいやと思っていると、「駒大スポーツ」が手渡せられた。気が弱いから「いらない」とも言えずに受け取った紙面には、「負けられない駒大 王者奪還」の大見出しが私には虚しく見えた。

    その時頭上に爆音がして、取材ヘリが上空を旋回している。ということは、先頭選手が遊行寺を通り過ぎて、既に藤沢橋あたりにいるだろうと予想できた。

        P1120390.JPG

    やがて数分もすると、道路左右の声援が一層大きくなった。

    人垣の間に坂の上から下りて来る先導車が小さく見えた。応援の声々によって、もう走者が間近に迫っていることを予感させた。もう取材へりの爆音も聞こえなくなっていた。大きな応援の声でかき消されたのだろうか、それとも既に藤沢警察署の方角にでも飛び去ったのだろうか。

    ますます沿道の声援が大きくなった。

    それにしても例年のワクワク感がない。それどころか後ろめたい思いがして、群衆の中にも入れない。いや、入ろうとする気分にもなれないのである。

        P1120393.JPG

    沿道の声が大きくなって、思わず道路を覗いてみると白バイが見えた。群衆が動いて声も動いて立錐の余地もない。仕方がないので、カメラを持つ手を高く高く伸ばして目見当で1枚だけ撮った。

    風が通り過ぎて行くように、あっという間に通り過ぎていった選手を見送ってから、1枚だけ撮った写真を確認してみた。どうせ白バイだけしか写っていないだろうと思っていたが、よくよく確認してみると、なんと先頭の2選手が小さく写っていた。確かめようとする気もないが、これはどうやら早大につづく東洋大の選手だと見えた。

    失敗したはずの写真だと思っていたが、皮肉にも2選手が自分から入り込んだかのように思えて捨てがたい。その1枚だけ撮ると私は、逃げるように後ろを振り向くこともなくその場から離れた。

        P1120394.JPG

    家までの数十メートルの間に、「この藤沢に引っ越して来た理由の一つには、わが家から箱根駅伝が見られることにあった」ことを思い出していた。

    しかし、今年だけは「箱根駅伝」を見たいとは思わなかった。

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    ウィキベディアの「箱根駅伝の記録一覧」を閲覧する。そこの「日本大学」記録には、

    優勝回数12回を誇り、戦前初の4連覇を果たした。この際に優勝旗を永久授与されたが、太平洋戦争によって焼失してしまい、竿だけが残ってしまった。戦後も中央大学と共に50年代から60年代にかけて覇権を争った時代がある。第50回大会を最後に既に30年以上総合優勝から遠ざかっており、第73回大会は本戦に出場できなかった。近年ケニアからの留学生ランナーを招聘し、巻き返しを狙っているものの、総合優勝にはなかなか届かない。3度のオリンピックマラソン代表となった宇佐美彰朗は同好会出身者でありながら箱根駅伝を走った。練習拠点は世田谷区の文理学部キャンパスだが、大学の学部が東日本各地に分散している。近年は毎年のチームが考えてメッセージ入りのTシャツを作るようになっている。87回大会では繰り上げスタートもあって最下位に終わり、88回大会は15年ぶりに予選敗退した。たすきの色は桜色。(日本大学駅伝部箱根駅伝オフィシャルホームページ)

    と書かれていた。

    毎年出場して当たり前だと思っていただけに、この箱根駅伝に母校「日本大学」のいないことがショックだったらしい。

    (註)この記事は、まだ書きかけのものです。


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