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「万葉会の新年会」 [令和6年 (2024)]



 「万葉会の新年会」
 
        令和6年1月15日(月)
   
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  • 数十年前の夏に、万葉の古里明日香の地を汗しながら高等部生が歩いた。そして卒業してしばらく経ってからも、再び飛鳥の地を訪ねることになった。

    コロナ禍で、越中の「大伴家持を尋ねる旅」は中止された。しかし、その間も年に何度かの集まりは続いていた。多感な高等部生時代に、同じ釜の飯を食らい。酷暑の中を歩かされ、夜は勉強会とレポート書きで熟睡も許されなかった。

    そんな苛酷な旅を経験したからか、仲間の結束は殊更に強くなり、余程のことがない限り集まって来るのである。今や参加者は、社会的地位もあり家庭では一家の主でもある。それなのに、ここでの顔は高等部生のママなのである。

    それが嬉しくてじじいも必ず参加させてもらって、屈託のない会話を愉しんでいる。じじいとしては、仮にじじいが参加できなくなっても、この万葉会が続いてほしいと願うばかりである。

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    日吉の「たつ吉」にじじいが顔を出したら、もう宴会が始まっていた。座った途端に、出るは!!出るは!!の山海の珍妙、その流れは四時間余りも絶え間なく続くのだ。そうこうしていると、仕事での遅れびとも加わり、追加料理が刺身から揚げ物に変化して、酒もワインから日本酒になる。

    驚くことは、この連中には「疲れ」という言葉がないらしい。じじいが「帰る」と言い出さねば、夜中まで大騒ぎの大笑いが続くのだ。事実、10年前の「再びの万葉旅行」でも、疲れ果てたじじいが別室て寝付いた後も、彼らは「夜明かしで明け方まで笑い転げていた」のだった。

    昨夜もじじいがよろよろ立ち上がり「帰る」と言うと、店の前に立ち並び、駐車場の英一郎車を待ちながらも楽しんでいる。じじいが「横浜駅でいいからね」と言ったのに、その「英一郎の口車(笑)」に乗せられて、気づけば藤沢の自宅前に着いていた。

    ※こんなに書いても、楽しい時間の触り(さわり)だけしか書けないのである。楽しい楽しかった。帰りたい帰りたくない。今自宅に着いたのに、もう次の万葉会が待ち遠しいのである。

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