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江の島道 【7】  [江の島道]


  江の島道
     
 -わが街「江の島道」が見えてきたー (NO7)

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  • 2 江の島道の今昔

    江の島道 
     いつ頃から「江の島道」という名称が確定したのかわからない。
     私たちにとって、江の島道として一番確かなものはといえば、杉山検校が建てたと伝える道標(道標)がある。浮世絵に描かれている道標や古文書もあるにはあるが、それは検校の道標よりも時代が下ったものである。

     検校が道標を建てたときに、彼が「江の島道」と命名したかどうかは知らないが、それは当時、既に多くの人々に認知されていたものを、彼が道標を建てた時に借用したとみるのが適当であろう。
     
     先日、グループ全員で江の島道を歩いた時に、密蔵寺の門前で不思議なものを見つけた。石に「弘法大師道(明治年間建立)」と書かれてあり、右脇に「向江の嶋道」の文字が読めたのである。
     近くには弘法大師の穴居修行を伝える岩谷不動(石籠山不動尊)があり、この寺が真言宗であることを考えれば、信仰の篤い信者たちにとっては、この江の島道は、「弘法大師道」(手広には江戸時代に建立された「弘法大師千年」の供養塔があり、その近くには鎖大師「飯盛山青連寺」もあり、そこに通じる道であったとも考えられる)でもあったことに不思議はない。
     
     古道というものを考えるときに、時の権力者が政治や軍事のために建設した道路を除けば、他はすべて生活道であったと言い切るのは、少し強引過ぎるであろうか。参拝のための江の島道も、当然元々は生活の道であり、その生活の道が信仰(弁財天)の道へと発展していったものであろう。
     
     藤沢宿からほぼ真南に伸びている江の島道は、境川(片瀬川)の流れによって、多少捻じ曲げられた(石上付近は境川の氾濫が頻繁にあったと伝える。現在の石上神社も元々の場所にはない)地域もある。
     しかし、このことを除けば、江の島道は比較的古いままの道であった。これは現代になって、開発のための変化を余儀なくされた藤沢駅周辺を例外とすれば、庚申塔・神社・仏閣等の文化財や地名などからも、「江の島道の今昔」を知ることは容易である。

     極論を言えば、暴れ川であっても、境川も江の島道の一部であったのだ。つまり、藤沢宿から最短距離で結ぶことのできた江の島道と境川は、多くの物資や新鮮な魚介類の行き来する「生活道」であったのだ。
     
     
    江の島道古地図
     最近発行された江の島道の各種案内書等を除けば、私たちにも見ることのできる比較的古くて、ほぼ定説となっている江の島道は「藤沢を通る街道と脇街道」(「図説 藤沢の歴史」藤沢市)に掲載されている地図である。
     この地図は『村々の生活』の執筆者の石井修氏の作製したものであろうが、これが天保13年(1842)の「藤沢宿略絵図」を参考にして描かれたものなのか、はたまた、それ以前に描かれた「藤沢宿絵図」や「江の島道絵図」があったかどうかも知ることはできない。

     いずれにしても石井氏が過去の文献や資料を基にして研究を進め、さらに実地踏査し、それに新解釈を加えて、今私たちがみることのできるような地図に完成させたものだろうと想像している。
     
     私たちの研究グループは、「江の島道」を理解するための、まだほんの端緒についたばかりである。その浅学を恥じながらも、一言苦言を述べさせてもらうなら、江の島道の観光案内・手引き・パンフレットの類は、何種類か出版されている。
     だが、それだけでは何か物足りないと思っていたのは、この江の島道の道筋に暮らしていた人々の暮らしぶり、神仏への信仰、文化財についての学術的・専門的な研究書が少ないことにあった。
     特に、江戸文化圏と一体となって発展してきた江の島道が、その時代という高みから俯瞰したところの論文が少ないことであった。
     
     ここで軽口を許してもらえるなら、この江の島道を主題とした小説が書かれて、映画化でもされたとしたら、多くの専門家・歴史学者たちの興味の集中するところとなり、急速に江の島道の研究が進むことであろう。 
     そうなれば雨後の竹の子のように、江の島道を中心とした書物が発行される。すると、それに刺激されて、ぞくぞくと新資料の発掘がつづくことになる。

     つまり過去においても、研究者が多数出現したことで、急にある種の歴史や文学に光が当てられたという例は枚挙にいとまがないのであると考えたが、これを他力本願というのであろうか。
     
     そんな他愛もないことを考えていた勉強会のある日(7月20日)のことである。
     講座の担当者に「現在の藤沢市地図に、色を変えて、旧江の島道を補足した地図を作製したいが、その種の参考地図はあるだろうか」と訪ねたところ、早速、あっちこっちに連絡を取ってもらうことができた。
     その結果「その地図なら今日印刷ができる」との情報を入手してくれた。
     

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