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江の島道 【8】  [江の島道]


  江の島道
 
     
 
ーわが街「江の島道」が見えてきたー  (NO8)

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  • 江の島道(近道)
     最近は何事も便利である。先日もパソコンのホームページで「いざ江の島へ」という記事を読むことができた。
     その中に「盲目の杉山検校が、目の不自由な人でも、道に迷わず江の島詣でができるようにと建てた『江の島弁財天道標』」とあった。

     私にも、この文章を書いた人の気持ちはよく理解できる。
     だが目の不自由な人が道標を手で探りながら、江の島に向うという状況を想像することには少し無理があった。失礼だが、この表現は少し現実味に乏しいのではないかと思った。
     
     話は変わるが、私たちは藤沢宿(遊行寺橋)から江の島への道だけを、いつの頃からか「江の島道」と呼んでいる。
     だが、前出「図説藤沢の歴史『村々の生活』の地図には、江の島道と記してある左脇には、横枝が伸びたように「近道(江の島道)」と書かれてある。

     これを参考にして、仮に藤沢駅の南口のファミリー通り(鵠沼石上1丁目)付近から、北西に道をとり、三富士町交差点から藤沢駅の北口入口交差点を経て、本町小入口交差点を真直ぐに進み、湘南高校入口に抜けるという道が江戸時代にあったとしたら、それが「江の島道近道」であったかも知れない。

     近道というからには、江の島から大山への近道かもしれないし、逆に大山から江の島への近道だったかもしれない。
     でも、こんな些細なことでもよくよく調べてみれば、とんでもない発見の糸口が見つからないとも限らないのである。

     また、「復刊藤沢の文化財」(藤沢市教育委員会)には、
     「本町通りを風早橋を渡って少し行くと、真源寺の丘陵の北裾に沿って湘南高校の方に抜ける細い里道があります。天保13年(1842)の『藤沢宿略絵図』によると、ちょうどその里道の曲がり角に近く見附の位置が示されてあります」
    と書いてある。

     遊郭や飯盛り女のいる旅籠を避け、目障りな見附を迂回して江の島への近道を選ぶというのにも、それなりの理由がなくてはならないだろう。
     この種の問題でもよくよく調べてみれば、結構面白い新発見があるかも知れないと思ったからでもあった。

     ここまできて、「江の島道」をさらに深く理解するためには、古地図や古文書の実物を直接見てみたいということになった。
     そこで7月27日、藤沢市「まちづくり協会」の生涯学習博物館準備担当者を訪ねた。
     ここでは紙数の関係で、その詳細を報告することはできないが、いただいた資料や話題については、これ以降の文中にも大いに活用させていただくこととした。

     特に次の資料は、前述した私の「江の島道近道の予想道順」を修正せざるを得なかった資料として引用しておく。

     「この郷(村)境の道は東海道(旧国道1号線)と車田(藤沢4丁目・鵠沼本町5丁目)で分岐し、県立湘南高校・日本精工の門前を通りJR東海道線の踏切(一本松)をさらに小田急江の島線の踏切を越え、最後は鵠沼石上の旧集落で境川に達する。かつては江の島参拝の「脇往来」として多くの人々が往き交ったこの道は、いまはその由来も忘れられている」(藤沢地名の会会報「藤沢・鵠沼・郷(村)境の道」-江の島脇往来ー 湯山学)。

     ついでにいえば、別れ際に博物館準備担当者から「江の島道の脇往来としては、車田・引地川等の3つの説が考えられている」との貴重なお話しを聞くことができた。

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