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和「箱根駅伝往路」 [「和」シリーズ (2013)]


 

  和「箱根駅伝往路」
         
                      
 
平成25年1月2日(水)
                               
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  • 「箱根駅伝」を観戦しないことには正月が来たという実感がないのである。

    このブログでも毎年恒例の記事の一つでもある。勤務していた時も、この「箱根駅伝」のことをなんども書かせてもらっている。

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    そのように「関心」はあるものの、現役を離れて毎日を日曜日の気分で過ごしている生活では書くことにも飽きてくる。それに我が母校は、2区でベンジャミンが1位になったのに、私の住む藤沢では2位となり後続が次々と追いついている始末である。

    このままでは、平塚中継所辺りでベンジャミンがごぼう抜きした分だけ抜き返される不安がある。結局、箱根での順位は15位であったと記憶している。ここまでくればせめてシードがほしいと期待するが、それすらも覚束ないのである。

    さっき「書くことに飽きていた」と書いたが、この母校の箱根駅伝での元気のなさも影響しているらしい。だが、こんな状態の時にこそ、応援するのが「母校愛だ」とは思うがどうにもその気力が生まれてこない。同じようなことは、私だけでなく元マラソン監督であった先輩からの年賀状にも書かれていた。

    その人は、母校が連続優勝していたころのコーチ・監督であった。引退してからも毎年のように駅伝広報車に乗って解説をしていたが、最近見かけなくなったが80歳過ぎの年齢では声もかからなくなるのであろうか・・・。不思議なことに、この人とは初任職場の先輩であったことを切っ掛けにして、めぐり巡った私の人生にあっていつも公私両面で先達として存在していた。

    その詳細を書くわけにはいかないが、私の初任の職場N高校ではバリバリの10年先輩であった。私が他校のT高等部の職場に移って何年かすると、先輩もN大学に転任してコーチとなり、やがて監督となって箱根駅伝の連覇の記録を打ち立てていた。

    やがて、その後先輩は監督を引退してN大学の付属M高校の校長となった。そしてなんと、その次の校長には私が就任したのであった。そのころ私は教え子の仲人を頼まれたことがあったが、なんとその教え子の奥さんとなる人の実家が先輩のお隣であったのだ。私が引退して藤沢に引っ越したが、その藤沢の市会議員の父親が、これまた先輩の教え子であって、毎年正月には藤沢で「先輩を囲む会」が開かれるというのである。

    それに、この先輩は戦後の箱根駅伝を走り、わが街藤沢で「3区の区間賞」を取った人でもあった。いつのことになるか分からぬが、先輩から「俺の家にも不動明王を彫ってください」と頼まれているから、おそらくまだまだこれからもお付き合いがあるらしいのである。

    こんな風にして、今年が始まった。


    (註)この記事は、まだ書きかけのものです。

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