SSブログ
つれづれの記 ブログトップ
前の1件 | 次の1件

ホタルのひかり [つれづれの記]

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  ホタルのひかり

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  •  どこかで聞いたことのあるタイトルです。「ほたるのひかりまどの雪 書よむつき日かさねつつ」と合唱した時代が懐かしい。

     でも、この頃は学校の卒業式でもあまり歌われなくなったという。「蛍雪の功」の言葉だって死語みたいなもんでしょう。「蛍雪時代」という雑誌が店頭から消えてしまったのはいつ頃のことだろう。

     俳句に「降る雪や眀治は遠くなりにけり」と詠んだ中村草田男もいましたが、昭和も遠くなりました。
     
     そうこうしている内に思い出したのです。
     干物女の「雨宮蛍」という劇画の主人公がいて、その人気にあやかって映画化されることになったという。その映画のタイトルが「ホタルノヒカリ(すみません。若ぶっていますが、昨日の新聞に載っていたのです)」だったのです。

     誰だって年を取ると物忘れが多くなるもんです。私なんぞは、この健忘癖のお蔭で、嫌なことも恥ずかしかったこともすぐに忘れられるようになりました。
     これは老化現象の役得というもんです。ですから、年を取るのも満更悪いことばかりではないのですよと、はやく皆さんにも仲間入りをしてほしいと願っているのです。

     都内に住んでいる知人が、藤沢の隠里で、飲みながら話を聞きたいと電話がありました。
     早速予約の電話を入れてみると、この時期は蛍の観賞客で混んでいるとのことでした。そういえば高尾の合掌造りの店で、自然を活かした庭園の小川に放たれたゲンジボタルを見たのは、もう7年ほども前になる。

     戦後の幼い頃は、食料不足でいつもお腹が空いていたが、田舎での夏の暮しは、蝉と蛍と川遊びには不自由しなかった。
     以前都内の料亭でホタル観賞の企画もありましたが、動物愛護の観点からか中止したと聞いたことがあります。
     
     夕方6時ごろ、手入れのゆきとどいた植栽と、打ち水された石畳に導かれて門を潜る。照明が灯されていっそう緑が濃くなった木々、その池端に面した椅子席には、すでに多くの客がゆったりと盃を傾けていた。

     ここの料理は、特別の素材をつかっているわけではないが、美しい器に綺麗に盛られた職人の技は女性客に評判がよい。知人は、弘法大師の話からはじまって、神社からいただいたご神水のご利益についても話題が発展してゆくのです。

     私は聞くともなく聞かされて、酔いが酔いを呼んで豊かな心地を楽しんでいました。知人は話すだけ話すと、最後の土佐の地酒をぐいと飲み干し立ち上がる。
     
     ころはよしと仲居が近づき、「蛍は別室です」と声がかかる。明るい廊下を何度か曲がるとやがて薄暗くなる。「ここです」と仲居が襖を開ける。
     しかし、座敷の中は真っ暗で何もみえない。案内されてようやくガラス戸に仕切られた広縁に坐る。しばらくすると目が慣れて庭の石組みがボンヤリ見えた。

     やがて目の前の小さな流れが目に入り、造られたせせらぎも聞こえてきた。あたりの尾花や名も知らぬ植栽の陰に小さな光が、あっちにも、こっちにも流れるのを見つけた。
     ああ、これはヘイケボタルだと咄嗟に思った。
     
    そういえば、ここ大庭の庄はもともと平家の土地だった。しばらくホタルの幻想的な命の輝きを観賞し、ここで育って、ここで恋して、ここで子孫を残している蛍なんだと思うと、ここしばらく忘れていた感動がわきおこるのを感じたのでありました。

     だが蛍なんて、夏の夕暮れになれば日本中どこでも見ることができたし、それが当たり前だった。それを料理屋でしか見られないなんて、妙な時代になったもんだと悲しくなった。
     あそこでカワニナを食べて、日々の営みをしている昨夜輝いていた蛍の命には感動したものの、なぜかすっきりしない気分がつづいているのです。

前の1件 | 次の1件 つれづれの記 ブログトップ