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紅葉狩り2 【京都曼殊院】  [紅葉狩り]

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  紅葉狩り2
 
(京都曼殊院)

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  •  車に乗り込むと、「すみません、次は曼殊院まで行ってください」と妻がいう。

     今しばらくは、この近世の革新的な芸術家、本阿弥光悦の住んでいた庭を散策していたいと思っていました。そんな私の気持ちを察したのか、運転士さんは駐車場から出した車をゆっくり走らせて、円成寺・源光庵の縁起を説明くださるのです。
     
     やがて常照寺の前にかかると、対向車の来ないのを確認して車を止めました。何かあったのかと不審に思っていますと、突然運転手さんは吉野太夫の話をはじめたのです。

     豪商の灰屋紹益と吉野太夫のロマンスについては、歌舞伎の演目ともなっていますから私でも知っています。
     また、一昨年の春にも桜を見よう京都にやって来ましたが、その時にも島原の揚屋角屋の大座敷の松の間で、絢爛と散り頻る桜を堪能しました。その庭にある名物の臥龍の松を解説していた古老は、この島原の文化財保護に関係する人でしたが、揚屋制度からはじまって当時の華やかであった吉野太夫の話にまでおよんでいました。
     
     しかし、ここが吉野太夫とゆかりのある寺であることまでは知りませんでした。
     光悦の縁故により、天下の名妓として有名であった吉野太夫は、日蓮宗の中興の祖と称される日乾上人に帰依しましたが、この寺は光悦の土地寄進を受けた当初は仏教の学問として開創したものだそうです。
     
     私が吉野太夫の話に興味を示したことに気をよくしたのか運転手さんは、「あの朱塗りの美しい門は、吉野太夫が23才の時に寄進したものです。ですから吉野門と呼ばれているのです」と名調子がつづくのです。
     その小さくて女性的な赤門につづく参道は、あまり広くはないが石畳には紅葉が散り敷いて風情があるのです。

     もしかすると運転手さんが気をよくしたと思ったのは私の間違いで、数日前にもお客さんを案内したと言っていましたから、この常照寺の庭内を案内したかったのかも知れません。それだけ見るべきもののある寺であったのかも知れません。
     旅行先から戻って、こうして旅行記を書きはじめてから気づいたことを少し恥ずかしく思ったことでした。 
      
     しかし、はじめから次の行き先を、曼殊院と決めている私たちの頑固さに気づいたのか運転手さんは、「では、曼殊院に向かいます」と北山通を東に走らせます。ここからは白川通までは一直線のコースとなります。 
     
     それからも火に油を注いだように語りつづける運転士さんは、ついにタクシーから降りてきた修学旅行生のことにまで話が発展するのでした。
     「京都では修学旅行生のために、タクシー料金を割引にしているんですよ。でも最近では、どこの中学や高校でも、興味は大阪にあるテーマパークが主流となっていますから、京都の歴史的遺産などを見学するということが少なくなりました。

     それも京都見学は、旅行の最後の一日だけを当てるという学校が多くなりましたから、清水寺さん周辺をざっと見て回ることになるのです。そのために清水さんはもの凄く混んでいまして、私たちも商売ですから嫌とは言えませんが、土曜日曜はお断りしたいくらいなのです」といっきに話します。
     
     そこで、「どうして清水寺ばかりが、そんなに人気があるのですか」と聞いてみましたら、「いえいえ多くの学校が、帰るための発車時間に遅れないことが大前提ですから、最終日にはなるべく駅に近いところを、半強制的に先生方が勧めるからなんです」とあきらめ顔で話しています。

     そんな取りとめもない話をしているうちに車は狭い道に入り、鷲森神社の前を右折して曼殊院の駐車場に入りました。
     私たちはならだかな坂を少し上がって裏門から入りました。玄関前には色とりどりの豪華な菊の花が迎えてくれました。玄関に入りますと掃き清められてあり、こぎれいにしている売店の女性も愛嬌があるのです。しかし、この寺には人の温かみや生活感がないのです。
     
     ここは江戸初期に建てられた門跡寺院で、竹ノ内門跡と呼ばれる名刹だそうですが、住職たちが修行したり寝起きしているような生活感がないのです。
     まるで古民家などが博物館として公開されているような佇まいで、僧侶たちの修行や祈りの場であることが少しも感じられないのです。

     私は庫裏から、虎・竹・孔雀の間を経て大書院を参観しましたが、ここにご本尊の阿弥陀如来が安置されていました。
     大書院にはすでに数人の男女が紅い毛氈に座って、小堀遠州作と伝える枯山水庭園を眺めています。庭の中心の滝石からは、白砂の水が鶴亀の島に流れます。五葉の松と曼殊院灯篭を配した庭園は、「禅的なものと王朝風なものとが結合している」といわれています。
     
     庭の観賞の仕方をどこかの寺の住職にでも教えてもらったのか、横になって庭園を眺めている人もいます。カメラを脇に置いて、俳句でもひねっているのか一心にメモを取る女性もいます。

     どれを見ても素晴らしいのですが、この寺の敷居を跨いだ時に感じていた印象、つまりここでの僧侶たちの日々の生活があってほしいという願望が拭いきれないのです。
     しかし、廊下を歩き庭を観賞し、寺の内部の文化財を鑑賞していいるうちにようやく心が落ち着いてきたのです。
     
     この寺に山号はなく本堂もありませんでした。また、瓢箪や扇などの飾りには、桂離宮の様式と類似するものが多いのだそうです。
     さらに門跡寺院という格式のある寺であり、代々皇族が門主を務めることが慣例となるなど、宮門跡の地位が確立している寺でもあったのです。
     ここまできて、この寺に僧侶たちが寝起きしている生活実感がないではないかと考えていた疑問が、ようやく解けはじめたのです。
     
     私は気持ちがすっとして、富士の間の狩野探幽筆の襖を楽しみ、つづいて黄昏の間に入りました。
     この部屋は軒をわざと低くすることによって日の光をにぶくして、室内をほの暗く設えることで夕暮れの侘びしさをかもし出そうとしたものだそうです。しばらくは作者の風流とこだわりの世界に陶酔することにしました。

     先ほどよりも、ふくよかに見える菊の咲く裏門から退出して、山門前の紅葉を見ようと寺の塀を左回りに表門に向かいます。門前から南に下る道のことを雲母坂というのだそうです。ここは京都を紹介する写真スポットにもなっているという紅葉の名所だそうです。
     言葉に違わず美しい紅葉の下で、私たちと同年輩の夫婦が写真を撮っています。門に向かって、左側には、紅葉に池が調和して橋の下には鯉もおよいでいます。

     おそらく数日後には、もっともっと素晴らしい紅葉が見られることでしょう。その奥まったところに、「モミジより団子」と言いたくなるような、「団子あります」の幟が風にゆらいでいます。
     少し寒さを覚えましたので表の縁台よりも室内がよいだろうと、遠慮がちの運転士さんを誘って茶店に入ります。

     店員がみたらし団子を三本乗せた皿とお茶を運んできました。小さな団子が一串に5個づつ差してあります。そして妻に、「搗き餅(もち米)だろうかか、それともしんこ(うるち米の粉)だろうか」と、いつものように語りかけながら小さな団子を歯でしごき取ってみたのです。

     旨い、これはしんこの団子だぞ。


     ※ この記事と関連のある、「写真4 京都曼殊院」を参照ください。