SSブログ

「みまもり地蔵」の開眼供養   [仏像彫刻]




  「みまもり地蔵」の開眼供養                
                      
                     
 
平成22年7月7日(水)

       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • 昨年の秋から彫りはじめた「みまもり地蔵」が、ようやく7月2日に完成して、藤沢にある「富士見保育園」にお納めすることができた。

             
    P1110031.jpg


    昨年の夏ごろのことだった。

    その日も地魚をつつきながら、なんということのない話をしていた。

    少し酔っ払った時に、それでも遠慮がちに理事長は、「仏像を彫ってくれませんか・・・」と唐突に切り出したのである。

    何のことか、さっぱり分からずに、しばらく理事長の話を聞いていたら、「いま保育園を建て替えているのです。そこに仏像を置いて、園児たちが登園した時に小さな手を合わせて祈り、また帰りには、仏像の前で手を合わせてから帰るという姿を想像しているのです。そんな宗教的な畏敬の心というものが、平凡な日常生活の中で、それも自然に身につくような、そんな教育がしてみたいのです」と熱く語るのである。

    酔った私も、自分の仏像彫りの技量の未熟さなどはすっかり忘れて、その酔った勢いで「分かった」と返事をしていた。

    それから1ヶ月が過ぎ、知っているところを八方手をつくしたが、園児の背丈ほどの仏像材料など見つかるはずもなかった。仏像材料は値段も高いし、関東では売っている所もないらしい。たまたま大阪の仏像専門の木材屋があって、仏像彫刻の仲間が、そのパンフレットを届けてくれたりもした。なかには「都内の木場を紹介するから行ってみないか」と勧める人もあった。

    ある時、これも仏像彫刻仲間が、「俺の伊豆の別荘の近くに材木屋あるから聞いてみてやる」と約束してくれた。しばらくしてから、ようやく高さ50cmほどの角材を手に入れて、親切にも伊豆からわが家まで運んでくれたのであった。


    そして秋になった。

    仏像の材料が、ようやく手に入ったことを理事長に伝えた。大喜びして言うことには、「園児たちの前で、その仏像を彫ってやってください」と驚くようなことを言い出したのである。

    「頼まれたなら嫌とは言えない」性格の私は、そこで片瀬にあるという仮設の保育園の園庭に、その木材を運び入れて、園児たちの前で荒彫りをはじめたのであった。

    園児たちは、仏像を彫っている私の周囲に毎日のように集まって来ては、
    「おじちゃん、この木の中からお地蔵さんが出てくるんだよね・・・」
    「おじちゃん、お地蔵さんはどこから来るの・・・」
    「おじちゃん、いい子にするとお地蔵さんが笑うんだよね・・・」
    「おじちゃん、お地蔵さんはいつできるの・・・」
    などと話しかけてくる。

    しかし、それもこれも数日前に、私が園児たちに話して聞かせた話なのであった。

    園児たちは、数日前に話して聞かせたことのほとんどを覚えていたのである。そしてまるで鉄砲玉のように聞いてくるのである。

    その園児たちの矢のような質問に応えながら、あの理事長が「仏像を園児たちの前で彫ってほしい」と言っていたことの意味は、ここらあたりにあったのかと漠然と思っていた。

    数日もすると親御さんたちが、仏像を彫っている私に近づいて来て、
    「子どもが家に帰って来て、『お地蔵さん、お地蔵さん』と言っていましたが、このお地蔵さんを見て、ようやくその訳がわかりました。ありがとうございます。」
    とお礼を言われたのである。

    そうか、これもあの理事長の狙いの一つだったのだ。


    あれから半年が過ぎた。

    「富士見保育園」の新しい園舎が完成した。

    こんな素晴らしい保育園が、他にもあるのだろうかと思われるような素晴らしい出来栄えであった。

        P1110054.jpg

    その園舎の玄関の左側に、1m30cm四方の窪みができていた。

    そこにタイル張りした台座の基礎ができて、その上に木製の六角形の台座が据えられて、またその上に私の制作した「みまもり地蔵(全高約1m20cm)」が安置されていた。

    これは「園児たちの背丈に合わせて、お地蔵さんを彫ってほしい」という、理事長の希望でもあったからである。

    7月7日(水)午前10時、小田原からお招きしたご住職、理事長・園長・建築会社関係者・園児・保育園関係者・開眼主の私も参列して、地蔵菩薩像の「開眼供養」が行なわれた。

         (除幕)
        P1110065.jpg

    園児たちの可愛い合掌で、私の制作した地蔵さんが、チョッピリ照れくさそうであった。

    この園児たちを、いつまでも「見守って」ほしいとの願いを籠めて彫ったので、これを「みまもり地蔵」と名づけた。

        P1110083.jpg

    「南無妙法蓮華経」の七文字のお題目と、開眼主・感得主(理事長)の名前と、「祈みまもり地蔵」と書いた紙片を筒に入れて、地蔵菩薩のご胎内にお納めした。

    導師の有り難いお経によって、魂の入れられた「みまもり地蔵」に、園児たちの学びと、健康と、優しい心とを、永遠に育まれんことをお祈りした。

        P1110086.jpg

    この「みまもり地蔵」の後ろの壁には、

       「みまもり地蔵」   

    ふしぎな きもちを みています。
    いつでも よい子と ほほえみます。
    ないている子と いっしょに なきます。
    げんきな子とは いっしょに わらいます。
    いたずらっ子も だいすきです。
    いいまちがいで、きづきます。

           ことば  〇〇 〇〇〇
           せいさく 〇〇 〇〇〇

     平成二十ニ年七月 吉日

    と、銅版に理事長のことばが刻まれてある。

             P1110090.jpg        

    この「ことば」があったから、地蔵菩薩像の表情は、あえて笑いません、泣きません、怒りません、悲しんでもいないのである。

    それは園児たちの、その日その時にあったさまざまな出来事によって、この「みまもり地蔵」も、
    泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだりするように彫ってあるからなのである。

    それに、ここに置いたのは、園児たちに毎日触ってほしいからである。
    ツルツルの頭を撫ぜてほしいからである。
    モミジのような合掌する手にも触れてほしいのである。

    私の仏像は祈るだけではなく、触れてほしいと願っているからである。

             P1110091.jpg

    理事長が、「制作者からもひと言・・・」と園児たちに紹介してくれた。

    そこで私は、もう忘れているだろうと思って、「園庭で、お地蔵さんを彫っていたおじさんのことを覚えていますか・・・」と聞いてみた。すると園児たちは、一斉に「はぁーい」と手をあげてくれたのである。

    「あぁ・・・、いい仕事ができたなぁ・・・」と思わず涙がこぼれそうであった。