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素顔の境川を訪ねて 【3】  [素顔の境川を訪ねて]

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  素顔の境川を訪ねて
        
-源流踏査から河口までー (その3)

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  •  「国道1号線から3km」の標識が見えると、ここは西俣野地区である。ここまで来ると、先ほどの塔が見上げるように高く眼前に迫ってくる。境川はゆるく左右にくねり、風もあり気分は良好である。

     風といえば、冬場は境川を吹き上げる風がきつく感じられる。しかし、夏は逆に川を下る風に走行が邪魔される。それも朝夕で、風向きが逆転するような気がしている。
     定かではないけれども、季節と朝夕によっては陸と海に温度差が生じ、川沿いを吹く風が海に向かって流れたり、陸に向かって流れたりするのではないかと推測した。

     やがて猛烈な蒸し暑さが思考力を奪って行くのを感じながら、一点を凝視しながら自転車のペダルに力を入れてみた。

     金沢橋の上流200mに支流あり、それを宇田川という。この支流の上流には、どんな世界があり、どんな人々の生活が営まれているのだろう。
     もしかすると桃源郷でもあるのではないかと興味津々である。しかし、今日は本流の調査が主目的であって、支流探訪の浮気は許されない。

     ここまで来ると境川の川底も見えている。左右の見晴らしは少し狭められているが、周囲の木々の緑は濃さが増している。3,5km地点の俣野橋道路下をくぐり抜けながら、ところで「境川には、橋はいくつあるのだろうか?」と考えた。

     早速調べてみると境川には105の橋があるという。その内訳は、藤沢市内に19橋(片瀬橋から大清水橋まで)、横浜市と藤沢市の境には12橋(立石橋から境川橋まで)、横浜市と大和市の境には14橋(新緑橋から鶴瀬橋まで)、町田市と大和市の境には5橋(東急田園都市線から西田橋まで)、町田市と相模原市との境には、なんと55橋(金山橋から川上橋まで)の橋があるという。

     これらの橋は、主な橋(新しく架けられた橋や新しく橋名をつけたものを加えると、121橋ありとする説もある)であって、ほんの小さな橋は除外されているのかも知れない。
     また、この橋には人の通行する橋や車だけが通行する橋、鉄道の橋も含まれている。

     余談になるが、これらの105橋の名称の由来や橋にまつわる伝説や物語などを調べてみれば、きっと別な「橋物語」が見えてくるだろうと興味はつきないのである。

     「国道1号線から4km」の地点にさしかかり、ドリームランドの塔が前方から右横に流れ、そして右後方へと流れて視界から消える辺では川の蛇行がきつくなる。
     上俣野橋を通過すると、この地域の人たちの丹精した花壇が見えてくる。この花の少ない季節の炎天下に、キンギョソウの群れがたくましく咲きほこっている。

     名も知らない花々に目を休ませながら川べりに目を落とすと、槿の赤紫を目印として支流の和泉川が見えている。またも上流の世界が気になるが、その美人の和泉川さんにもお別れをせざるをえなかった。
     
     ところで、「境川には、いくつ支流があるのだろうか?」と勉強会で話題になった。
     これも早速、我が家の道路地図で境川を遡ってみると、河口から「柏尾川・滝ノ川・白旗川・宇田川・和泉川・相沢川・目黒川・深堀川」までが確認できた。それより上流は支流は確認できるが、あまりにも小さいために川の名前までは印刷されていない。

     資料によれば、深堀川の上流には「穴川・小松川」の2つの支流があるという。だが、その資料には「白旗川・和泉川・相沢川」の記載はなく、別に宇田川の次に「大門川」が記載されていた。
     これも支流と認められる水量・川幅などの条件もあり、「橋」の認定以上に難しい条件があるのかも知れない。

     ふたたび本流探しに戻る。境川は東京都町田市相原の大地沢キャンプ場付近を水源とし、水源標高363mから51,2kmを流れ下って、藤沢市の片瀬西浜海岸で海に入る。誰が歩いたか知らないが15時間20分かかるという。また歩数で数えると90.366歩であるという。

     気づくといつの間にかサイクリングの人や散歩の人たちの数が増えている。私は午後の時間帯に走ることが多いが、午前中には女性が多いことに気づかされた。
     やがてコスモスや月見草の季節になると、この道を行く女性は「月見草がよく似合う」だろうと、太宰治の「富岳百景」の一節をもじってみる。それも暑さと疲れのためなのだろうか。
     
     4,5km地点からまた周囲は開けてきた。右手には広大な「遊水地」が望める。左手奥には、まるで広大な北海道の風景を思わせる馬の背のごとき丘が見えてきた。よく見るとどうやら玉蜀黍の畑であった。


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