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小田原散歩2(梅の城址公園の巻) 


   小田原散歩2(梅の城址公園の巻)        
      
     平成31年2月24(日)
                               
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  • 佳哉のお母さんのお見送りで柏又を後にした。この柏又前の道には「新道(しんみち)」という石碑があった。なんでも文化年間(1817)に、小田原に大火があって多くの人が逃げ道がなくて焼死したという。そのようなことがあって新道が造られたというが、この新道とともに「柏又の歴史」もあったと思えば感慨深いものがある。

    正治車は一路小田原城址公園に向かった。妻とも何度か桜を見に来たこともあったが、今回は地元二人の案内で小田原の新しい発見があった。その一つが「報徳二宮神社」であった。どうやら小田原の住人には「小田原城と北条早雲と二宮尊徳・三の丸小学校・蒲鉾」というのは特別なのかも知れないと二人の話に聞き入っていた。梅はきれいに咲いていたが、悲しきかな鼻炎のぼくには、その梅の香を楽しむこともできない。

    木々に囲まれた鎮守の杜を一巡りして、もういなくなってしまった象のウメ子のいた象舎(元こども遊園地)も埋め戻されて小さな忍者が駆け回っていた。この城址公園も小田原城の元の景観を取り戻すための再開発が進められているらしい。なんでも二人の説明では「この近くに風祭というところがあって、そこに北条五代に仕えた風魔忍者が住んでいた」という。

    ぼくたちは天守閣前に回り込んで、本丸広場で代わる代わるに写真を撮ってから、常盤木門から馬出門のあった方角を見下ろしていた。すると隣の正治が「あれっ、ぼくの母親がここにいる」とビックリしたような声を上げた。ぼくは「気配りの正治が、ここでもぼくにサプライズを仕掛けてきた」と思っていたが、どうやらお母さんとのドッキングは偶然のようである。

    まるで映画のワンカットのように、ぼくたちは常盤木門の石段を降り切ったところでお母さんにご挨拶をした。なんでもお母さんたちは、高校の同窓会を二宮神社で開催するために城址公園までやって来られたとのことだった。なんとお母さんとご一緒の方が、二宮尊徳翁の末裔とのご縁で二宮神社での同窓会なのだそうだ。

    こんなチャンスも滅多にないと思えば、ここで是非にもと記念写真を撮らせていただいた。もうしばらく「二宮金次郎のお話をお聞きしたかった」が、次々に訪れる観光客の通路を塞ぐことに躊躇して惜しみながらもお別れした。

    さて、次の正治・美枝子企画のサプライの始まりである。

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    ※写真は小田原市の広報写真をお借りしました。


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