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50年あまりで「ようやく歌舞伎初デート」 


      50年あまりで「ようやく歌舞伎初デート」  
           
                         
                                 平成30
年6月9(土)
                               
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  • 作詩家の岡本おさみと〇〇雅子たちは、学生時代の放課後はいつも連れ立って行動をしていた。ぼくは男だけのグループに属していたが、アルバイトの関係もあって、その時その時に出会った仲間と付き合うことが多かった。そんなフーテンの寅さんのような渡り鳥のぼくにも岡本たちは仲間として受け入れてくれた。

    雅子さんとぼくは学生時代に2人だけでデートをしたことはない。しかし、その後も岡本を介しての付き合いはつづいていた。10数年前にぼくが仏像彫りを再開してからは毎年展示会に来てくれるようになった。そして数年前に「御蔭地蔵贈呈式」にも参加して、ぼくの教え子たちや妻とも出会うことになった。妻は結婚前からの長い付き合いを知っているから「たまには雅子さんを歌舞伎にお誘いしたら・・・」と以前から言っていた。それがようやく昨夜雅子さんとの歌舞伎初デートがかなったのであった。

    彼女はぼくより2歳若いが、入学当初から成績優秀で研究室での評判もよかった。だから研究者として大学に残るものと思っていたが、卒業後は女性ファッション誌の編集者として活躍していたという。その後1度だけ岡本おさみと雅子さんの経営する「目白の喫茶風飲み屋」を訪ねたことがあった。そこは彼女を慕って集まってくる若い人たちの人生相談所のような風情があった。事実ぼくの訪れた日も「お母さん、お母さん」と多くの若者たちが雅子さんに話しかけていた。それゆえやがて店に集う若者たち同士が結婚し、孫のいない彼女にも多くの外孫ができたとも聞いている。

    雅子さんは「歌舞伎は20年ぶりよ」と、幕開けの「夏祭浪花鑑」に魅入っていた。菊之助丈の長男寺島和史丈が、花道で「とと(団七)、おんぶしておくれ」との可愛い演技に、「まだ4歳ですって」とささやいていた。ぼくは前々から歌舞伎批評をしないことにしているが、今宵24年ぶりの上演だという宇野信夫作「巷談宵宮雨」には驚いた。太十夫婦の家にやっかいになっている生臭坊主の龍達が、枕屏風から立ち上がった時の言葉と所作に、「あっ、勘三郎が出た」と思ったからである。

    ぼくはあり得ないと、自分の勘違いに疑問すら感じていた。だが翌日の歌舞伎美人の記事「十七世勘三郎が得意としていた龍達を、その舞台が大好きで毎日見ていたという芝翫が初役で勤めます」の一文を読んで疑問が吹っ飛んだ。さらにつづけて「六代目のおじさん最後の龍達の時に僕はおとらをさしてもらいました」と懐かしそうに語る芝翫丈の胸の内を覗いてなんだか妙に嬉しくなった。この不思議でもなんでもないことを不思議に思いながら、これからも「強欲で女癖も悪い破戒坊主」を、今夜の芝翫さんがどのように演じてゆくのかと楽しくなった。

    今朝は、雅子さんからいただいた京都寛永堂のお菓子で妻とのコーヒータイムを楽しみながら「こうして生きていればまだまだ楽しいことや不思議なことに出会えるかも知れない」と思っていた。

    ※雅子さんの写真がないので、松竹株式会社の宣伝ポスターを借用させていただきました。

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