和「おまつりすんで夜が明けて」 [「和」シリーズ (2013)]
和「おまつりすんで夜が明けて」
平成25年12月26日(木)
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- クリスマスとは「降誕を記念する祭日」であると聞いたことがある。私は、この時期に流れるクリスマス・ソングが嫌いである。それも幼い頃から嫌いであった。では、クリスマスの歌を歌ったことがないかと言えば「そんなことはない」と答えるのである。
このことについては既に何度も書いている。でも、このことはなかなか他人様には理解してもらえなかった。しかし、最近になって「クリスマスの曲はなんとなく淋しいから嫌だ」と語る人も出てきた。私と同じように感ずる人もいるんだと思ってみたが、もしかしたら私の方が受け売りであったかも知れない。
そうは言っても、このクリスマス曲(音楽のことは分からないが)は、リズミカルであってどことなく期待に胸ふくらますような明るい曲調であるような気がする。でも、その曲を「淋しい」と感ずる人がいるということはどういうことなのであろうか。
もしかしたらクリスマス曲というよりも、この曲が流れる時期というか環境によるのではないかと考えてみた。すると、私と同じようにどことなく侘びしい切ない思いでこのクリスマス曲を聞いた人は、どうやら私と同じような時間を過ごしたことのある人ではないかと思えるようになったきた。
この像に被せられているカラフルな帽子を発見したのは26日の午後のことであった。このところ体調が思わしくなくて家でゴロゴロしていたが、このままでは体力が落ちてしまうと駅周辺まで散歩に出た日のことであった。この裸婦像には「地」というタイトルが付けられてあったが、そんなことよりカラフルな帽子だけが目立っていた。
咄嗟に、これは昨夜クリスマスで飲み過ぎた若者たち(?)の悪戯だろうと判断した。いつもは目立つことのない裸婦像が、今日ばかりはギョッとするほど目立っていたから思わず写真に撮ったのである。みょうなことに、この若者たちの悪戯に今日ばかりは怒る気がしなかった。
それどころか悪戯した若者に好感すら抱いていた。それというのも、この種の悪戯をする若者がいなくなったことが淋しかったからかも知れない。昭和の時代までは随分悪戯する若者がいた。近頃、そんな悪戯が少なくなったと思ったら、世間を震撼させるような出来事が起こるようになった。
悪戯なんて、ある程度許して大目に見てやることで社会がそれを教育する必要がある。怒鳴って怒って若者は社会のルールを身に着けたもんである。それが許されなくなって、社会も大人も世知辛くなった時に若者は世間を震撼させるような事件を起こすようになったのである。
2013-12-28 09:04
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