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私あずきと申します。2 [あずきの独り言]




  私あずきと申します。 2                      
                      
                     
 
平成22年4月23日(金)

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  • 前回、「これも後から聞いた話ですが、この家に飼われていた先代のポメラニアンのポーちゃんも、この家に来た日に、これとよく似た話があったと聞いたことがあります。」とお話ししましたが、このポーちゃんは16年6ヶ月という長寿を全うしたと聞いています。

    この家族は亡くなったポーちゃんのことになると、急に話に花が咲いたようになって、今飼われている私でも、時には妬ましくなるほどの溺愛ぶりなのです。

    でもポーちゃんが暮らしていたのは、いま私の住んでる藤沢ではなくて、この家族がまだ相模原に住んでいた時のことなのです。16年あまりも生きたポーちゃんが、相模原の家で死んだのが、8年前の9月4日払暁のことだったと聞いています。

    とすると、9月にポーちゃんが亡くなってから、わずか4ヵ月後の12月に、この家族はもう相模原から藤沢に越して来たということになります。それにしても、これだけ慌しく藤沢に引っ越して来たというのにも、なにか理由があるのかも知れません。

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    おまけに、私がこの家に引き取られることになったのも、9月にポーちゃんが死んで、12月に藤沢に引っ越しがあって、そのあくる年の5月だったのです。

    これも見方によると、結構慌しいことだったのです。

    なぜなら、先代のポーちゃんが亡くなって、そのあまりにショックが大きくて、もう2度とこの家では犬を飼わないと決めていたようです。

    本当は引っ越す必要もないのに、それでも慌てて引っ越して来たのは、ポーちゃんと一緒に住んだ家には、もう住みたくないとの気持ちからだったとも聞いています。

    だが、その程度のことで長年住み慣れた家を売り払って、藤沢まで越して来たとも思われませんが、この家族のすることは時々分からないこともあるのです。

    というのは、この家族が相模原に住んでいた時には、庭の広い一戸建てだったそうです。主人の趣味は庭の手入れでしたが、朝から夕方まで庭の植木と対話していたそうです。

    近隣の人も、どうしてそこまで植木の手入ればかりするのだろうかと、他にすることがないのだろうかなどと不思議に思っていたそうです。これは主人に確かめてみたわけではありませんが、なかを忘れようとする行動の結果が、たまたま植木の手入れだったと聞いたことがあります。

    ところが、高い庭木の手入れをしていた時に、2度ほど梯子から落ちたことがあったのだそうです。

    これから年毎に老いてゆくと、もう高い庭木の手入れなどは無理であろうと、奥さんから強く藤沢への転居を勧められたのだそうです。その頃はすでに、娘さんは藤沢に住んでいましたから、この他にも、まだまだ転居すべき理由があったろうことは想像できます。

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    話をポーちゃんに戻しますが、どうやら私の家族は、少し流行に乗りやすいタイプのようです。

    8年前に、テレビのコマーシャルで人気者となったチワワがいましたが、この家族も多少それに影響されて、私を引き取ることになったのだろうと想像しています。そのお蔭で、こうして幸せに暮らしているのですから、あまり批判することはできませんが、ポーちゃんが引き取られる時期にも、どうやらポメラニアンという犬種が流行っていたらしいのです。

    その頃娘さんは、何度も何度も奥さんに、「犬を飼いたい」とお願いしていたらしいのです。

    その奥さんは、娘さんからの要求を長い間撥ねつけていたらしいのです。ところがある日の買い物の帰りに、娘さんに誘われるままにペットショップに立ち寄ったのだそうです。その日奥さんは、そのお店にいたポメラニアンの子犬を見ているうちに、どうやらある心の変化が起こったらしいのです。

    日ごろは、一端言い出したことは決して譲ることのない奥さんでしたが、時々「急転直下」の大転換が起こることもあるようです。

    これも後になってからの奥さんの言葉だそうですが、「娘があんまり欲しがるものだから・・・」とか、「子犬が私を連れてってと言っていたから・・・」などと言い訳していたことがあるそうです。このあたりの奥さんの心の動きについては、7年間も可愛がってもらっています私の立場からは、なかなか言いづらいものがあるのです。

    別の立場からの娘さんの言うことには、「ポーちゃんを引き取る日に、私が行かないでお父さんに行ってもらったのは、どうせお母さんが気に入った子犬が引き取られるに決まっていたから・・・。それに私がなんのかんのと言い出したら、お母さんは『もうやめにしましょう』と言い出すに決まっていたから・・・。それならいっそのことお母さんの選んだ子犬でも、いないよりはよいと半分諦めて、半分はポメラニアンを期待していたのよ」と話していましたが、ここらあたりに真実があるのかも知れません。

    その日も奥さんは、私を引き取りに来た時と同じように、次の日曜日に主人を伴って店に出向き、子犬のポメラニアンを「可愛いね・・・」と勧めたのだそうです。なんと奥さんは、この時も前日のうちに、子犬のポメラニアンを引き取るとの予約を取り付けてあったらしいのです。

    奥さんが、この家の実権を握っているのですから、いたし方のないことでありますが、2代つづいて同じようなことがあったのです。

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    このポーちゃんは、相当なヤンチャだったと聞いています。

    そのお蔭で、「ポーちゃんに比べると、あずきちゃんは『天才犬』で、世界一の優秀犬だ」と誉めてもらえます。それはそれで嬉しいのですが、この一家はヤンチャなポーちゃんにかき回されつづけていたはずなのに、どうやらその大変さを懐かしがっているようなのです。そんな家族の話を聞きながら、私は複雑な思いがしているのです。

    ポーちゃんは16年あまりも生きたのですから、そのヤンチャぶりをお話ししたら、それこそ何時間あっても語りつくすことはできません。そこで今回は、家族が懐かしそうに話している内容からの受け売りではありますが、思いつくままにポーちゃんのヤンチャぶりをご紹介します。

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    なにしろ落ち着きのないのが、ポーちゃんだったのです。

    主人が無理して買ったばかりの椅子は、ポーちゃんにかじられてボロボロになっていました。食堂の柱も洗面所の壁もボロボロでした。その後家族は、ポーちゃんが悪戯をやめるまでは修理をしなかったものですから、まるで人の住まないボロボロの廃屋みたいになってしまいました。

    そのころはまだ、奥さんがパート勤めをしていたこともありまして、どうも処置なしのほったらかし状態がつづいていたようです。その悪戯好きの傍若無人のポーちゃんと比較するものですから、家具などをかじったりしない私のことを不思議がっていました。

    家族全員が揃った日などは、嬉しいのは分かるのですが、1日中吼えつづけで家の中を走り回っていたようです。当時は、一戸建てということもあり、近所に気を遣う必要もないことから、家族もポーちゃんを自由にさせていたのです。その結果、可愛い可愛いで、あまり躾けもしないでいたようです。

    「今のうちに躾をしておかないと、この子が大きくなってから不幸だよ」という主人の言葉に奥さんは、「お父さんの声が大きいから、ポーちゃんが怯えているわよ。手を挙げないでよ。言葉でやさしく教えてあげてよ」と何度も抗議していたそうです。

    ポーちゃんが大きくなってから、悪戯をしでかしたポーちゃんを叱る時などに、主人が手を挙げて殴る動作をしようものなら、
    両前足で頭を抱え込む仕草をするのだそうです。その動作があまりに可愛いものですから、家族はまたそれ喜んで可愛がるものだから、ポーちゃんのヤンチャぶりは、ついに改善されることはなかったのだそうです。

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    ところで今日になって、前々から主人に頼んであったポーちゃんの写真をようやく出してくれました。

    この写真ですと、顔だけが黒くて全身が真っ白に見えます。しかし、実際は胸のあたりは白いのですが、その他は濃い茶色なのです。主人がフラッシュで撮影をしたものですから、こんな風にまるで白のスピッツのように見えてしまいます。

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    当然この写真は、家族がまだ相模原に住んでいた時のものです。その日は、娘さんのピアノ用の椅子にのせられて撮ったものですが、主人としてはよく撮れた写真だと自慢していたそうです。

    ですから、この日の写真の数枚が、四つ切に引き伸ばされたのだそうです。

    ポーちゃんが亡くなってからもしばらくは、家中にポーちゃんの写真が飾られていたそうです。それがやがて、1枚ずつしまわれていったのです。写真がそこにあることで、生前のポーちゃんを思い出して、辛くなる気持ちはなんとなく分かります。だからでしょうか、この家族は、その後なるべくポーちゃんのことを話題にしないようにしていたそうです。

    思い出したいけれども、思い出すことが辛かったのでしょう。

    そんな重苦しい日々の中にあって、主人と奥さんはどうしようもなくなって、「藤沢にでも引っ越そうか」ということになったのでしょう。その頃には、すでに娘さんは藤沢に住んでいました。主人と奥さんたちも、週末は娘さんのところで暮らしていましたから、すでに「週末藤沢市民」でもあったのです。

    いずれにしても、なにか行動でもしないことには、ポーちゃんのいない淋しさに耐えられなかったのでしょう。

    そのあたりのことは、またの機会にでもお話ししますが、藤沢に越してからもポーちゃんの写真の移動はつづいていました。やがて居間にあった写真は、主人の寝室の本棚に移されました。

    さらに私が、この家に引き取られることになってからは、ポーちゃんのすべての写真を主人の寝室に移してほしいと、奥さんが希望したのだそうです。

    一つには、新しくこの家の家族となった私への気遣いもあったのでしょう。もしかしたら、ポーちゃんのことを1日も早く忘れてやらなければ、ポーちゃんだって安心して天国に行けないだろうと思ってのことかも知れません。

    (そろそろポーちゃんの話題から、私の「あずきネタ」に話を戻そうかと思いましたが、なかなか自分のこととなるとお話ししづらいものがあります。だがポーちゃんのことを話すということは、畢竟私のことを話すことにもつながるであろうと勝手に言い訳させてもらって、いま少し「ポーちゃんネタ」をつづけることにいたしました。筋書きのないドラマですから、話がとっちらかって申しわけありません。)

    (この記事は、まだ書きかけです。それにしても何度読み返しても、誤字・脱字・無駄字の多いことよ。)


       

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