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江の島道 【2】  [江の島道]


  江の島道 

         
 
-わが街「江の島道」が見えてきたー (NO2)

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  • 大  山

    大山参り 
     大山参り(大山詣で)とは、山頂にある阿夫利神社に大山講の人々が集団で参詣することをいう。大山は雨降山とも呼ばれ、雨乞いや祖霊・成年式の山としても重要視されていたのである。
     また、大山が別名「石尊大権現」といわれたことから「石尊参り」とも呼ばれていたという。頂上には、阿夫利神社奥社、そして山麓には下社があり、古くから農民の雨乞いの神としても信仰を集めていた。
     
     この藤沢の地から望む霊峰富士は、古代から多くの人々の信仰の対象として崇められてきた。それはあたかも箱根連山と丹沢の峰々に守られているかのごとくに見える。
     この地に住み、日々身近に仰ぎ見ることのできた大山は、そこにあるだけで、既に人々の祈りの対象になりえたのである。
     この丹沢山塊には、仏果山・行者岳・塔ノ岳など、仏教に関係する多くの山名が残されており、古代から山岳信仰のあった地域であったことを証明している。
     
     これは山々の持つ地形的・風土的・形而上的な諸条件に加えて、それが何であるかを説明できないが、古代からの人々の信仰の対象としての神秘性を備えていたからではないかと考えられるのである。
     だからこそ大山が、755年(天平勝宝7年)、華厳宗の祖である東大寺別当の良弁によって開山され、後に真言密教修験道場になったという経緯についても何の不思議もないのである。
      
    鎌倉時代 
     三代将軍の実朝は「時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまえ」と、大山の山神に和歌(「金塊和歌集」619)を献じている。
     この和歌の題詞をみると「建暦元年7月 洪水天に漫(はびこ)り、土民愁嘆・・・」とある。一般的には「雨乞いの本尊」であるはずの水神に、ここでは大雨を止めさせてほしいと祈念した珍しい詠いぶりとなっている。
     
     大山は古くから不動尊を安置しているが、この不動明王とは、顔は憤怒の形相をし、右手に衆生を救うための降魔の剣を持ち、左手には衆生摂取の羂索を携えて、衆生の苦しみを掬い取ると信じられていた。
     ゆえに、土民こぞって祈願したが、特に武家政治の時代には、武運長久や開運の神としての信仰が篤かったと伝えられている。