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誰でもやさしくなれるのです。 [つれづれの記]

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  誰でもやさしくなれるのです。

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  •  「ボランティアは、他人のためにするのではない」と聞いたことがあります。

     地域のボランティア活動に参加しているT氏から、「次回の農作業は、9月4日に行います」とのメールが入りました。ここ数日涼しくなったと感じていた気候も、関東地方を窺っている台風9号の影響で残暑がぶり返しています。

     その日もT氏は自家用車で迎えに来てくれました。私の他にも同じ町内から同年輩の2人の男性が乗り込みまして、今日の農作業現場となっている西俣野地区に向かいます。
     
     この西俣野は、江戸時代から歌舞伎でお馴染みの小栗判官伝説と深い縁のある土地であると聞いています。私たちは総合療育相談センターの駐車場に車を停めて、そこからは歩いて畑に向かいます。

     このあたりは藤沢市内からわずかしか離れていないのに、ここはもう藤沢の農業地帯なのです。
     そこここの農家では即席の野菜販売所が設けてあり、形はあまりよくはないけれども、みずみずしいキュウリに茄子・水菜に隠元、おまけに小型の伝助スイカまでが並べられています。

     そんな野菜販売所をのぞき見ながら畑に到着すると、もうすでに15人ほどの「元若者たち」が、畑の畔に腰を下ろして迎えてくれます。
     Tシャツの人もいれば、割烹着の女性もいます。手甲脚絆でいかにも百姓でございという人もいるし、長靴に半ズボン姿という出で立ちの人もいるのです。
     
     顔見知りの人がいましたので、ご挨拶やらとりとめのないお喋りがはじまりました。
     そうこうしているうちに2台の小型トラックが到着します。荷台には耕運機と肥料や農具などが満載されていました。するとお喋りし、大笑いしていた人たちがやおら立ち上がるのです。

     いつもながら、これといったリーダーからの指示があるわけでもないのに、参加者たちは誰に言われることもなく肥料を担ぐ人となり、鍬や鳥よけ用の網を担いで運ぶ人になっているのです。

     これはそれだけ長い間、このボランティア活動に参加している証なのでしょう。今回が2度目である私も、その人たち倣っていつの間にか牛糞の入ったビニール袋を背に担いでいたのです。

     トラックを運転してきたI氏は私たちへの挨拶もそこそこに、トラックから自分で耕運機を降ろし、これも自分が数日前から耕してあった畑に耕運機を乗り入れて、そのままジャガイモの種を植えつける畝を切りはじめたのです。

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     前回、このボランティア活動に私が参加したのは6月のことでした。 その日は農作業ではなくて、この地域の障害者たちを招いての収穫祭の日でした。

     私は以前から、この地区のボランティア活動に興味がありましたので、町内の防犯パトロールの当日にT氏から「ボランティア活動に参加してみませんか」と誘われたのを幸いに喜んで参加したのです。

     だが参加したのはよいが、初参加の私は右も左も分りません。さて何をどのように手伝ったらよいのか皆目見当がつかないのです。当然のことながら誰からの指示もあるわけでもありません。

     つまり自分の仕事は自分で探すしかありませんでした。そこでまず参加者たちの動きを目で追って、障害者たちが食事するための会場づくりの手伝いに加わりました。
     ここでも皆さんは手際よくテントを張り、テーブルと椅子を並べるてゆくのでありました。

     たちまち会場づくりの仕事が片づくと、それぞれが自分の持分の仕事に散ってゆきました。私はまた仕事にあぶれてしまいました。何か手伝うことはないかと見まわしていると、ご婦人たちが鬼おろしでジャガイモを細かくし、それをボールに移し小麦粉を混ぜ込んでいるのが見えました。

     どうやらそれを大きな鉄板の上で焼くらしいのです。そこでこの仕事なら何とか私にもできそうだと、その仕事を担当させてくれと名乗り出たのです。

     そのジャガイモの鉄板焼きの方法を教えてくれたのが、その日初対面であったI氏だったのです。

     これは後で知ったことですが、私が強引に横取りしたジャガイモの鉄板焼きは、その日のI氏が担当する作業だったのです。知らないこととはいいながら、そのI氏にしてみれば「軒端を貸して母屋を取られた」ようなものだったのです。

     それなのにI氏は不満気な表情も見せず、白い歯を見せながらいつの間にか私の鉄板焼きの手伝い役に廻っていたのです。

     その時はまだこのI氏が、この畑の所有者であることなど知るよしもありませんでした。ただその日のI氏の笑顔と親切とやさしさだけが印象的だったのです。

     その日の作業が終わってトラックに荷物を積み込んで帰ってゆくI氏を見送りながら、「人間って、どうしてあんなにやさしくなれるのだろう」と漠然と感じていただけなのです。 
     
     おにぎりに味噌汁、そして鉄板焼きを「おいしいおいしい」と食べていた障害者たちが、ビニール袋に入ったお土産のジャガイモゆらしながら帰ってゆきました。

     その後の私たちは食べ残しを集めて、反省会を兼ねた食事会がありました。その時の話題の中で、この畑を無償で貸している人がI氏であるということをはじめて知ったのです。

     それだけではありません。私たちが今日この農作業ができるのは、すでにI氏が数日も前から畑を耕しておいてくれたからです。
     そしてI氏は耕運機や肥料、農作業に必要な農具や種までも今朝もはやくから用意していたのです。

     まだまだ、それだけではありません、今日私たちが楽しく大笑いをしながら行った作業は、わずか数時間で終わってしまいました。
     しかし、今日植えつけたジャガイモが収穫されるまでには、さて何ヶ月がかかるのでしょうか、それまでI氏は草取りに励み追い肥をして、土返しの作業を人に知られることもなく繰り返えさなくてはならないのです。
     
     人間は損得だけで動くわけではありませんが、口に出すのと行動するのとは別なものです。

     私は幼いときから、自分ではなかなかできそうにないことをやり遂げる人を尊敬していました。I氏は無口で浅黒くて痩せてはいます。でも、その横顔が好きなのです。

     厳しい顔は夏の太陽のもとでの労働の証です。日焼けした顔に白い歯が一層美しいのです。厳しい顔だから笑顔が飛び切りすばらしいのです。

     うろ覚えの話ですが、江戸の庶民は人はひとりでは生きられないから世間というやさしさの中で生かされてきた。だから、その日々の生活の中から、「にんげん」のことを「じんかん(人間)」と表現したのだと聞いたことがあります。

     やさしさは大きくなくてもいいのです。
     人に知られなくてもいいのです。
     人は誰でも、こんなにもやさしくなれるものなのです。

     畑に撒く石灰が風に舞って私の口にも飛び込んできました。ゴボゴボと咳き込んでいると、「俺がやったのではないよ。風がやったんだから仕方がない」と元青年が平然と言うのです。

     久しぶりに汗を流し軽口を交わしながらの農作業で、いつものイライラが消えてしまっているようです。
     何十年ぶりの農作業で腰が焼け付くように痛むのに、なぜかその痛みが懐かしいのです。

     しっとり濡れた牛糞の臭いもどこか懐かしいのです。人はそれぞれ生きてきた環境によって、臭いに対する好悪までもが決められてしまうものなのです。
     どうしたことだろう土と戯れたためであろうか、日ごろの不平不満までが風に乗ってどこかに運ばれて行ってしまいました。

     あと数ヶ月が過ぎれば稔りの季節が訪れます。
     そうするとまた障害者たちが、この畑のテントの下に集まって、あの「ジャガタラ餅」(私の造語です)を、「おいしい、おいしいです。みなさんきょうもご馳走さま・・・」の言葉を聞くことができるのです。

     あのはじけるような笑顔とジョガイモ焼きの醤油の臭いがしてきます。  
     そうです、「ボランティアは他人のためにする」のではないのです。
     

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