「糾える縄の如し」
「糾える縄の如し」
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昨日は、わが家のベランダガーデンに咲いているペラルゴニウムの写真を載せた。だが世の中は、そんなによいことばかりがつづくはずもない。これを先人は「禍福は糾える縄の如し」と言った。じじいは、今日のタイトルを「コロナ騒ぎで墨田の花火が咲かない」にしようと思った。だが多くの人は、このタイトルを見たら「コロナ騒ぎで隅田川花火大会が中止になった」というテレビニュースと勘違いするだろう。だがじじいの言う「墨田の花火」は、それとはちょっと違うのである。
わが家のベランダ庭園には、鉢植えの「墨田の花火」というアジサイと、名前は忘れたが「紫陽花色のアジサイ」がある。この墨田の花火のことを2018年5月にも「紫陽花物語」のタイトルで紹介したことがある。その冒頭は「3年前に妻と娘から誕生日プレゼントとしてもらったのが、このアジサイ『墨田の花火』であった。なるほど、この花を見ただけで夏の夜に打ち上げられた花火を連想することができる」との書き出しであった。
ところが、今年の「墨田の花火」は葉を青々と繁らせてはいるものの花芽もつかない。これを「コロナ騒ぎの影響だろう」と決めつけるつもりもない。この墨田の花火のエピソードとして「ところが、移植して1か月後には葉が黄色に変色し、まだ秋になったばかりなのに葉が落ちた。冬までにはすべての葉が落ちて新芽も見当たらない。次々に枯れてゆく茎を悲しく切り取り年明けにはすべてを刈り取った。もう『このアジサイは駄目だろう』と諦めていた。 ところが、翌年の1月下旬に数ミリの青い葉のようなものが見えた。雑草かも知れないとは思いながらも、もしかしたらもしかしたらと大事に水やりをしていた。すると春になると1本だけが茎を伸ばしてやがて青々とした葉を広げ始めた。やがて4月になり、一つだけの花芽が成長しつづけて、6月には見事な「墨田の花火」が咲いた」という歴史があった。
今年は駄目であっても、もしじじいが元気であったら隅田川の花火と共に、わが家の「墨田の花火」の打ち上げも見られるかも知れない。だから、ここは「墨田の花火は糾える縄の如し」とこじつけてみた。
『禍福はあざなえる縄の如し』
小生が結婚式で父に言われた言葉です。
by U3 (2020-06-05 08:56)