「お江戸みやげ」を観た。 [つれづれの記]
「お江戸みやげ」を観た。
~~新橋演舞場~~
平成23年4月15日(金)
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- 今月の新橋演舞場の昼の出し物は、「お江戸みやげ)」「一條大蔵譚」と「封印切(恋飛脚大和往来)」であった。
4月4日の夜の部につづいて、今日は昼の部を観る機会に恵まれた。
「絵本太功記」で佐藤正清、「権三と助十」で権三を演じた三津五郎丈は、昼の幕開けの「お江戸みやげ」のお辻役を、「封印切」では丹波屋八右衛門の役であった。
1日に、それも異なる役どころを4役もこなすということは、さぞや大変なことであったろうと思われる。
こうして昼夜2日も、十代目坂東三津五郎丈の歌舞伎を観させてもらったのだから、今回に限ってもいま少し、その三津五郎丈の演技などにふれてもよさそうである。
ところで、私の先輩に「片山明」という人がいた。
この人は、1936年の大阪歌舞伎座の「十二代目片岡仁左衛門襲名披露興行」を初めて観てより、その後60年余りも歌舞伎を観つづけた人であった。
そのことを知った「短歌生活社」の創設者が、片山氏に連載記事を依頼したのだという。
それがやがて、2001年5月に「歌舞伎四方八方ばなし」として上梓された。私も生前の片山氏から1冊いただいたが、読むこともなく、そのまま本箱の片隅に放って置いた。
最近になって、歌舞伎狂言の110が、見開き2ページにコンパクトにまとめられている簡便さと、道楽を自任する氏の歌舞伎への熱い思いに感嘆して、こんなにも一つのことに夢中になれるものなのかと驚きながら、時々読ませてもらうようになった。
「歌舞伎は、観て楽しめばよい」と吹聴していたが、もし好きならば、少しは勉強しなくてはと反省させられた。
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話は変わるが、今月の新橋演舞場の舞台美術担当者としては、4名の名前が紹介されていた。
その内の2名のお名前が気になった。それは、中嶋八郎氏と中嶋正留氏である。気になるから、パソコンで調べてみた。
著名な「舞台美術製作者」の二人だから、その活動の様子や人物紹介なども多く見られるだろうと期待した。
けれども、資料の探し方にも不慣れではあるが、それぞれの作品中に、美術担当者としての名前は出てくるものの、人柄や人物に関する資料はほとんど見つからなかった。
しかし、それも「舞台美術に専念することが仕事である」という職人気質からであると思えば、一層好感が持てた。
それでも、なにかないかと探していると、「大道具さーん ちょっとー!」(舞台美術製作 金井大道具(株))ごきげん営業阿部)というブログが見つかった。
舞台美術 中嶋八郎展
平成23年1月10日(月)~15日(土)11時~19時
銀座七丁目 竹川画廊にて開催中
舞台美術デザインの道具帳がたくさん飾られています。
舞台美術家への道を目指す方は必見。
衣装デザインも見れますので、舞台衣装デザインに興味のある方も必見。
平成6年11月大阪新歌舞伎座 萬屋錦之助公演『鬼と人と』
の道具帳も飾られていました。
私が大道具営業になって初めて担当したのがこの作品でした。
他にもあるだろうかと探してみると、「伊藤熹朔賞受賞記録」という項目があって、その一覧表の中に、「第3回(1975年) 本賞・中嶋八郎『平将門反逆時代』」「第20回(1992年) 新人賞・中嶋正留『忠臣蔵女人抄』」と掲載されている資料が見つかった。
どうやら、ここまでの流れからすると、中嶋八郎氏と正留氏は親子ということになる。
すると、次の作品などは親子での仕事ということになる。
松竹製作「宮本武蔵(一幕のみ)」、東銀座新橋演舞場(2003/11/2-26)
原作:吉川英治 脚本:宇野信夫 演出:市川團十郎、廣田 一
美術監督:中嶋八郎 美術:中嶋正留 照明:玄葉裕美
出演:市川新之助:宮本武蔵、市川團十郎:沢庵和尚、市川亀治郎:お通
でも、まだ二人の人物像は見えては来ない。
そこで、ここからは正留氏に絞って、いくつかの資料を順不同で並べてみる。
すると、社団法人日本演劇協会では、「演劇文化の向上のため、有能な新人の発掘を図る」こことを目的として、若手演劇人に賞を贈っているという記事があった。
しかし、ここ30年間は、賞の授与は行なわれずに中断されていたという。それが平成8年に、「復活第1回受賞者 舞台美術科 中嶋正留氏(通算第6回)」として復活表彰されたと公開されていた。
また、二代目西崎緑 野外舞踊公演では、
「妖かしの妃 三国妖狐伝」
(2010年 5月 21・22日 湯島聖堂) 企画/二代目 西崎緑
作・演出/石川耕士 振付/藤間仁 美術/中嶋正留
舞台施工/千曲舞台工芸
つづいて見つかった資料には、
『灰被姫 シンデレラ』 -賑木挽町戯場始-
竹本連中 長唄連中
企画構成 片岡仁左衛門
作 中村京蔵・山崎咲十郎
演出 市川團十郎
演出補 坂東三津五郎・中村歌昇
美術 照明監修 坂東玉三郎
美術 中嶋正留
これ以外にも、まだまだ資料はあるのであろうが、最後として「歌舞伎座のホームページ」に公開されていた記事によると、
「気鋭の舞台美術家」というタイトルで、歌舞伎座三月大歌舞伎「道元の月」と「二人椀久」で、意欲的な仕事をしたとのことで、松竹株式会社より、中嶋正留氏に『会長賞』が授与されたとの記事が載っていた。
ここでは珍しくも、中嶋正留氏の「受賞インタビユー記事」が掲載されていた。ここでは引用することはできないが、自分用として複写して、保存しておこうと思っている。
・ ・ ・
さて、こんなに多くの資料を参考にして、些細な思い出話を綴ろうとしたことは珍しいことだ。
だが、この項の冒頭にある「中嶋親子が気になった」ということについての理由は、まだ書いてはいない。
大げさに吹聴するようなことでもない。
しかし、それはいたって簡単なことであった。
「若い頃の中嶋正留さんに会ったことがある」という記憶からである。
あれは、渋谷あたりであったろうか、いよいよ「舞台美術」の仕事に入るという話を聞いて、4人が集まって一杯飲んだことがあったと記憶している。
しばらくして、正留さんの初仕事を観に行ったことがあった。しかし、それが歌舞伎座であったか、それとも新橋演舞場の舞台であったのかの記憶はない。
その後、正留さんとは会うことはなかったが、彼の仲間からは、「次回は正留さんの作品だよ・・・」との連絡が入ることもあった。
あれから、20数年の歳月が流れたが、そこからの記憶の糸はプッツリと切れて、今ではかつて渋谷で会った人と、この正留氏とが、同一人物であるかどうかに自信がもてないのである。
そんなことから今回は、その中嶋正留氏との記憶を辿ってみようと思ったのである。
しかし、まだ確信が持てたわけではない。それにしても、もしどこかで再会することでもあったら、いかにも「記憶しているぞ・・・」と言ってみたいのである。
これほどに、記憶が曖昧になって来たのかと悲しみながら、いつの日にかまた会えるだろうと、これからも機会あるごとに、「正留さんの仕事ぶり、活躍ぶり」を追いかけてみたいと思っている。
(お礼)中嶋正留氏について、各種の貴重な資料を拝見させていただきました。ありがとうございました。
2011-04-23 14:46
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中嶋さんは大学在学時代に一番お世話になった先輩です。お互い結婚披露宴にも出ています。
努力家で情の厚い、良い人ですよ。
by 石村雅幸 (2014-09-30 11:25)